夫からの心強い言葉
子育てでいちばん大切にしていることってなんですか?
いつもはブレッブレの私ですが、子育てにおいて大切にしたいことは珍しくハッキリしています。
それでも外からの影響で間違ってたのかな、と不安になることも多いです←ブレブレじゃん(笑)
そんなときに言ってもらった夫の言葉が心強かったので、備忘録として残します。
夫の子育て
我が家は私よりも夫の方がずーっとずっと子どもとの距離感や関わりが上手です。
とてもシンプルでわかりやすくて、程よい距離感があります。
何よりブレない…常に同じ距離感で同じ姿勢で子どもと関わるので、子どもからしたら安心感があるのでしょうね。
誰が言ったわけでもないのに、夫が帰ってくると
長男「今日も一日お疲れさまです!」
次男「おかえりなさい、お疲れさまでしたー!」
三男「パパ、おかえりー。」
それぞれがそれぞれの言葉をつかって、パパを出迎えに行きます。
自然とそうしたくなる存在ってホントすごいと思っていて。
なんでそういうことができるんだろうなっていつも思ってます。
私は理屈人間なので、理屈で説明して欲しくてたまらないのだけれど、夫は感覚人間で、感覚的なことは言葉でなんか表現できないって言います。
きっといろんなことを感じ、考え、さじ加減をしているんだろうなーって思います。
私は夫の考えを知りたいし、自分のこともわかってもらいたいので、
「私はこう考えたり、これを優先にしてるからこうしてるのね。
でも〇〇やん(夫の呼び名)はこうするじゃない?
どういうことを考えて、それを選択するの?」
そんなふうに聞きます、聞きまくります。
新たな価値観、視点をもらうことで、子どもたちの多様性に対応しようと思っているのかもしれません。
次男への対応
あるとき、夫が次男に厳しく言いました。
宿題のこととかおうちのルールのこととか。
私が言うとテキトーに理由つけて逃げちゃうのに、夫が言うとその通りに動くから、そうやってビシッと言うことも必要な時があるんだな…と次男のその後の行動を見ていて思いました。
でもそのモードが多くなってきた時、その後の次男の怯え方や夫への態度を見ていて
(このままだと、確かに親の言うことを聞こうするだろうけれど、夫との関係性ってうまくいかなくなる気がする…)
と思いました。
確かにガツンと言うべきタイミングもあるし、ガツンと言わないとハッとして思い返すとか難しいかもしれないときもあるんです。
でもガツンと言うなら、他の場面でその10倍くらい子どもをよく見て、声をかけて、あなたのことを見てるよ、そのままで大丈夫だよっていう感覚を受け取れるような時間もないとバランス取れないよなぁと思えて。
夫にはそのまま伝えました。
そして言いました。
私は何より子どもたちとの信頼関係を築くことを大切にしている、と。
それさえあれば、何があっても一緒に解決していけるんじゃないか、と。
その後は、夫と共通の趣味のカブトムシや爬虫類の話で2人だけの世界ができたりといい感じの関係になってきました。
社会性の問題
長男も次男も、脳のタイプによるものと私の関わり方、保育園にいる時間の長さ、2人にとって過負荷な状況、そんな資質と環境により私との親子関係が長いことうまく築けずにいました。
療育センターに通って、対応を学んだり、それぞれの特性を理解したり、保育園に相談したり。
やれることはいろいろとやってきました。
でも時間はとってもかかったし、途中私自身がキャパオーバーになってバランスが取れなくなったりしました。
それでもそれぞれに合った環境やサポートを可能な範囲で選択して、周りにも伝えてきました。
そのときにはそれが精一杯だったのだけど、それでもフツーの子たちがなんなくクリアしているような社会的なルールの獲得とか、
なんとなくできるようになってしまうことができなかったりと、課題はたくさんありました。
宿題もなぜかしばらく「やらなくていいもの」と認識していて、「宿題はないんだよ」と誤魔化される感じでした。
子どもの言葉を信じて受け止めつつも、事実とのギャップにとまどう日々。
子どもの心を優先しつつも
「ルールはみんなが笑顔でいるために大切なものなんだよ」
という話もしてきました。
だけど、宿題に関しては意見がさまざまあるようだし、
一概に絶対にやらなきゃいけない、と優先するようなことでもないように思えるときもあれば、
できる範囲で取り組むという姿勢が大切なのではないかと思い直して、どうしたら宿題に取り組めるか工夫を考えたり、
ホント試行錯誤でした。
だけど、親子関係が悪化することだけは避けよう、それだけが私の信念でした。
でもね、宿題をやらせなくても、親子関係はあんまり良くない…そんな時期もありました。
去年、次男が尊敬する長男が不登校になり、なんとなく目標を失った次男はオレも行かない、と言うようになりました。
時々休ませながらも、次男には行くように担任と相談してハードルを下げながら、なんとか通い続け、それから1年で次男は次男らしさを開花させ、兄とは違う人間なんだ、というスタートを切れた気がしています。
そうやってひとつずつ解決していく間にも、定型発達の子はどんどん発達、成長をしていき、
「ああ、療育センターで言ってたことってそういうことなんだ。
そういう開きが小学3年くらいでハッキリしてくるってことなんだ。」と腑に落ちました。
やっと親子の信頼関係が安定してきて、ベースが整ったな、と思った頃には長男、次男ともに社会性の問題が結構表面化してきました。
学校の先生と話したり、本人がどこか外で人と対応する姿を見ていて、違和感がハンパなく、
私は親子の信頼関係に固執しすぎて、社会性のことを軽視しすぎていたのかも…と頭を悩ませるようになりました。
子育てにおけるさじ加減ってホントに難しいと思います。
本人にとって過負荷やレベルが高すぎても獲得しづらいし、かといって負荷をかけないとか、簡単すぎることばかりなのも成長しづらい…。
この絶妙な負荷や課題のレベルのさじ加減、うなります!!
夫からの心強い言葉
ひとつひとつ丁寧に対応しているつもりなのに、次から次へと課題が降ってくるような毎日で、それが我が家では3人分なので、毎日頭の中はパンク状態の私。
私がいちばん過負荷だわ!!!
負荷強すぎだわ!!!
そんなヒートアップのときは、夫にぶちまけて、一緒に考えてもらいます。
無理なものは無理です。
私「私ね、信頼関係がいちばん大事って執着しすぎてたかもしんない。
社会性の問題が明らかになってきてて、今までおろそかにし過ぎたなぁって今反省してるの。
当時はもちろんね、言っても聞く耳持たないって感じだったから、親子関係優先するしかなかったとも言えるんだけど、それでももう少し調子のいい時とかにしっかり話をすべきだったのかな、とか。」
夫「いやさ、あなたが信頼関係を一番大切にしていて、それがベースだからって考え方はホントに理にかなってるとオレは思っていて。そ
一時期、オレはそれと反対のことをしてた時もあったしさ。
でもそうしたから気づいたこともあったんだけど、改めてそのスタンスは悪くないんじゃないかなって思ってる。
結局、関係が悪くなったら、一緒に解決していけないし、子どもの気持ちだって心だってわかってやれないしさ。
信頼関係のベースを築いてきたから今の関係があるよね。
結構ママのこと信頼してるよ、アイツら。
それが一番だよね。
それでいいと思う。
社会性の問題は今からひとつひとつつぶしていけばいいだけのこと。
信頼なくしてはできないことだよ。」
家族の信頼感ってスゲーーー大事だ!!!!
夫の言葉も刺さったし、そう言ってくれる姿勢もありがたかったし、やっぱり信頼関係大事だよねって肯定してもらえたことも、そんなに間違った方向性じゃないよってことも、全部が詰まった夫からの話にはホッとしました。
子どもを育てて自分が育つ
日々ね、思います。
自分が育たないと子どもは育たない。
子どもを育てながら自分が育つ意識って大事だな、と。
目の前で起こる問題は、子どもが起こしているから子どもがいけない、とか子育てのやり方がまずいとか、そんな単純な原因じゃないです。
親がどう捉え、どう動くかが試されていると思うし、うまくいかなかったら親がもっと視点を変えたり、心のステージを上げたり、自分をうまく育てていく必要があるって感じます。
それは学生時代の勉強と違って、やればそれなりにカタチになるものでもなくて、
自分と向き合ったり、いつものやり方と違うやり方にチャレンジしてみたり、絶対違う!とかそうはしたくない!と強く思う気持ちを手放してみたり、
柔軟な思考や行動がカギとなってるような気がします。
思い込みを手放し、今までのやり方を手放し、不安ややりたくない気持ちを素直に感じつつもチャレンジしてみたり。
子育てと家事と仕事で手いっぱいなのに、そんなの無理!!と思っていたときは、どんどん状況は悪化していったけど、
焦らなくていい、ひとつひとつできることをこなしていくことの積み重ね、と自分の肩をトントンしてさ、
できなかったら夫にエイヤッて投げちゃえって思ったりしてさ、
だいぶ私、落ち着きましたです、ハイ。
なんかいい大人なのに取り乱したり、感情的になったりして私ったら情けないって思いながら、全力でいろいろ取り組んで、
やっとさじ加減つかんできたかもなぁーー。
私、いつもお疲れ!!
そして夫、いつも感謝してます。