「いるだけでいい」と「あきらめろ」に励まされる
心やからだに元気がなくなると、誰か安心できる人にそばにいてほしいって思ったりしない?
私、今絶賛しょぼくれ中。
今までは少しでも時間ができたら、頭の中のモヤモヤをnoteに書き出して、自分を励ましていたのよ。
でも今はそんな元気もないな。
誰かにそばにいてほしい。
そんなときってあるよね。
それにホラ、こんな天気だし。
ジメジメ蒸し蒸し、朝は冷える。
なんか体調もスッキリしないよね。
今までだったら、何言ってんの!ママでしょ!仕事も家のことも育児だって頑張らないと!ってムチ打ってた。
でも仕事も家事も育児も細く長く続けていくものでしょう?
無理したら続かないし、すぐ息切れしちゃう。
だから、しんどいときは素直に休もう?って自分に言えるようになったら、しんどいと動けなくなっちゃって。
そんなときに言われて嬉しかった言葉、「あきらめろ」とそばにいるだけでいいって感覚について、ちょっと言語化してみる。
そばにいるだけでいい
あのさ、最近よく聞く言葉で、
「自分のありのままを認める」とか
「生きてるだけで価値がある」とか
「そのままでいい」とか
うんうんって思うけど、実感ってできる?
私ね、無理。
だって生産性重視でずっと生きてきたのよ。
仕事してお金を稼がないと生活できないし、仕事をするにはある程度周りに合わせるとか、さじ加減が必要だったり、ありのままの自分でダメなこと多いじゃんね。
私、ありのままで生きたら出る杭打たれるタイプだし。
いや、ありのままじゃなくても杭は出ちゃうんだけれども。
でもそうやりながらも結構周り見て動いてるし、バランス考えてるのよ、これでも。
じゃなかったらさ、その場にいる人たちみんなが心地よくいられないじゃんって思っちゃうんだよね。
だけどね、今の職場ってそういう調和が通じなくて、周りを気にかければかけるほど心を乱されるから難しい。
ゆっくり出勤させてくれてるし、子どもが学校行けなくなっても週1で来てくれたらありがたいとかって言ってくれるから続けてるようなものだけど、なんか心が持っていかれてしまう感覚があって、なんか疲れてしまうのよ。
自分らしくもいられないし、かと言って調和を大切にしようと気遣っても空回りする。
きっとそうじゃないところでのバランスの取り方ってあるんだろうね。
そんな疲れからかな。
ゆっくり出勤になった分、朝の動きが遅くなってきちゃったの。
いつもなら6時半前には起きて、朝食の用意、洗濯物、メイク、着替えを終わらせて、7時に子どもたちを起こしてたのに、6時半過ぎまで寝ちゃう。
体が動かない。
7時前に出勤する夫に
私「ごめん、起きれなくて。
今の私、ダメダメだぁ。」
と言うと、いろいろ不満もあるだろうに
夫「ダメダメちゃんにしないの!
いいんだよ。それでも。」
とそのまんま受けとめてくれる。
そんな夫は、私にとってそばにいてくれるだけでいい人。
それ以上に求めたくなることももちろんあるけれど、そばにいてくれるだけでいい、がデフォルト。
私、夫が重度の障害を負って毎日介護が必要になっても、生きてくれてるだけでいいって多分思うんじゃないかな。
夫は、人間としても夫としても絶妙な立ち位置にいる。
ものすごく役に立つ人でもないし、何かに秀でているわけでもないし、車の運転はできないし、子どもとキャッチボールしようと思わないし、肩車だってしないし、子どもと距離があるし、私が思い描くようなパパでも夫でもないのだけど、
ただただそばにいるだけでいい、と思える人。
不思議な人。
お金が稼げるから、
人間付き合いがうまいから、
顔が広いから、
そんなスペックじゃなくて、
感覚的にそばにいてほしい人。
いるだけでいいってそういう感覚なんだね。
私も自分のこと、そう思えたらいいのかもね。
「あきらめろ」
最近、また夕飯が作れなくなってきた。
夕方がいちばんシンドイ。
でも誰かがそばにいてくれたらできる。
そばにいてくれるだけでいい。
長男に言う。
私「ママさ、最近、ご飯が作れないのよ。
でもね、誰かが横にいてくれたら不思議と頑張れるというか、動けるの。
お手伝いしろって言わないから、夕飯の時間、キッチンもしくはリビングにいてくれる?」
長男「キッチンにいるのはいいけど、できないってことはあきらめなよ。」
いきなりの長男のこの言葉がささったのよね。
そっか、あきらめるか。
あきらめるなんて言葉、実は私の頭の中にはなかったの。
だってあきらめたら人生終わりって本気で思ってきてたからね。
何の影響だろうね。
めちゃくちゃフッと軽くなったよ。
いいな、その言葉。
「あきらめる」って「手放す」に似てる。
シンドイなって思ったら、一度手放すのもアリよね。
でも結局その言葉で心が軽くなったから、ミルフィーユカツ揚げて、ポテトサラダを作った。
長男はポテトをつぶしてくれて、次男はそれぞれのプレートにできたポテトサラダを不均等によそってくれた。
次男のプレートだけ大盛りのポテトサラダ。
みんなで笑った。
人の優しさを感じるとき
私っていつも突っ走って行動してきて、誰よりも努力してやるって思ってて、人はなんとなくライバルで。
承認欲求強くて、仕事でもつい最近までは目の前の人から認められることが大切だった。
どうしたらよりよくできるか、そればかり考えて生きてきた。
よく言えば向上心がある。
でも常にそのモードでいなくてもいいのよね。
だけどそういうモードチェンジが頭になかったなぁ。
だからずっとありのままでいいって思わなかったし、目の前の人に対しても頑張れってエールを送りがちだった。
だけどさ、シンドイの認めて、無理しないことにして、休むことにしたら、人の優しさって身に染みるんだね。
いてくれてありがとうって思うんだね。
私、ずっと自分や家族の強みとかスキルってなんだろうとか考えてきたけど、強みっていうより、ただその人がその人であってくれるだけでいいんだってこういうことなんだって思ったよ。
そして、弱くなってる自分は情けないって思っていたけど、弱くなることも必要なんだって思った。
いつもガハハなママなんだけどさ、こういうときもあっていいよね。
頼っていいよね。
で、あなたたちの優しさを体全体で感じていいよね。
シンドイ自分で居続けることって昔から苦手で、シンドイ自分を受けとめられなくて、いつも空回りモードに突入しちゃってたのね。
だから初めてかもなぁ、空回りモードにならずにただただジンワリと動けない自分、情けない自分を感じてるの。
それでいいんだなぁ。
全てをそのまんま受けとめたら、なんだか幸せ。
ダメダメな自分だけど生きてていい。
いてくれてありがとう、という気持ちが心いっぱいにあふれる感覚も心地よい。
あきらめろ、が潔い。
いいなぁ。
シンドイのに悪くないなぁ。
周りの優しさがホントに身に沁みるなぁ。
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