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【ADHD】自分を勝手に責めない

ヤバかったかな?と、心配になるようなことをしでかしたとき、今までは内なる自分が責め立ててきた。

「もっとこうしたら良かったんじゃない?」

ところが、最近はちょっと違う。

「ここを配慮した上でこうなったんだから、仕方ないよ、様子見よう。」


内なる自分の自分への声かけが変わるってものすごーーく大きいこと。

ダメな自分でいなくて良くなるのよね。

そして、子どもへの声かけも自然と全然違うものになってきたんだ。


過程が大切にできなかったから

私は見えていないものを意識するのが苦手。

生まれつきの脳みそのタイプみたい。


我が家の次男がおんなじなんだけど、言葉どおりにしかとらないし、その前後や背景を想像することが苦手そう。

また、考えることにおける視点もそうだけど、リアルな状況における視線もフォーカスが狭い。

だから状況理解や言われたことの意図理解が弱いんだと思う。

私もそうだから、次男を見ているとなんとも言えない気持ちになる。

そうしたくてしてるんじゃないからね。

(少しでも手掛かりになればと見える化実行中)


何かする「過程」も実は目に見えなくて意識しにくいものの一つ。

だから私は結果重視、生産性重視の人生を送ってきたんじゃないかと思う。


結果や生産性重視をして、長く幸せを感じることは難しい。

達成感や満足感はあっても一時的で、達成してしまうから次なる目標に向けて頑張らなきゃならなくなる。

また、その目標が長い期間に及ぶ場合、その間のモチベーションの維持が難しい。

子育てなどの自分以外の人が関わる目標となると自分がどこまで関わるかの線引きや責任の所在なども難しい。


つまり、毎日の家事や子育てに結果重視の考え方をしてしまうとものすごーーくストレスになるということ。

それに気づいた私は、過程重視、目に見えないものを大切にする価値観を変えていくことを決めた。

今まで見えていなかったことを見ていくってすごくワクワクするけど、ちょっと不安だったりもした。

過程重視、見えないものを見るってどんなことだかわからなくて。

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いい見本が家にいた

それまで謎めいていた夫が、急にスゴイ人のように思えてきたのは価値観を変えようと思ったときだった。

夫には見えないものがよく見えていたし、過程を大切にできる人だった。

身の丈がよくわかっていて、高望みもしなければ下手な失敗もしない。


いつも高すぎる目標に向かってエネルギッシュに行動し、見切り発車過ぎて失敗が多い私とは正反対で。

また見えるものにはキチッとしたい私はいろんなものが見え過ぎていたようで、夫は見えるものにはあまり執着がなさそうだった。

こういう感覚はもともとの性質と、何を大切にしたいかという価値観が大きく影響しているような気がする。

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価値観の変化

夫との違いを知れば知るほど、私にはなかった世界を広げたくなって、私は夢中になったのね。

今までは自分の価値観で決めていたことを、逐一夫に意見を聞き、総合的に考えてみたり。

私だったら絶対にやらない、ということを夫の意見を取り入れてやってみたりして。


そしたら、だんだんと凝り固まってた価値観とか考え方がやんわりしてきたのがわかったの。


私って

「こうじゃなきゃダメ!」

って思ってた、いろんなこと。

こうじゃなきゃ、というのは経験で痛い目にあったことが多くて、私は失敗するたびにそうやって自分をがんじがらめにしてきたんだなぁって思った。

仕方ないんだけどね、生きるためだもん。


冒頭の「つい自分を責めちゃう」思考のクセは、間違いなくそんな経験の繰り返しから自分で選択してきた生きるための戦略だった。


私の経験から蓄積してきた

「結果や生産性重視の考え方」や

「自分を責めることで行動化を促すような戦略」

は、今の子育てやこれからの世の中に合っているとは思えないものね。

少しずつその戦略や考え方から解放されよう。

noteでもそのために自己対話を続けてきてる。

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内なる自分の変化

最近少しずつ効果が出てきてるの。

人への執着が減ってきたり、ヤバイかもって思っても自分を責めないから冷静でいられる。

子どもたちへの罪悪感も減った。

なんで今まであんなに罪悪感持ってたんだろ?ってくらい。

なんであんなに自分のせいだって思っちゃってたんだろうな。

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そのまんまを受けとるのもスムーズ

いちばんビックリした変化は、「そのまんま受けとめる」が意識しなくてもできること。

長男が学校に行かない選択をした理由の大きな部分は「人が多い」からだった。

彼は10人以上同じ空間にいることがつらい。

それはもう就学前からそうで、就学の際も人数が少ない方がいいという理由で個別支援級を選択した。

そして、個別支援級の人数が年々増えたことで、学校に行かない選択をせざるを得なかった。


でも私は他にも理由があるんだろうと思って、素直に受け取れずにいた部分もあって。

もっとこういう支援をしていたら、とか、理解を求めていたら、とか、よく会話をしていたら、とか。

もしかしたら普通級にいたら、それなりにいられてたりして、とか。

もっとこうしていたら、こうだったかもしれないなぁ…と考えている思考の中には、自分を責める内なる自分と同じ感覚があったと思う。

「もっとこうしたら良かったんじゃない?」


そんな責めパターンだった内なる自分からの解放で、長男の想いや言葉も驚くほどすんなりと受けとめられる。

私「だよね。

  それは慣れの問題じゃないんだよね。

  そこは無視できないよね。」


そうなんだよ、シンプルにそれが一番大きい要因なんだよ。

それなのに、なんでアレコレ考えすぎちゃってたかなぁ。

それが罪悪感だったのかな、と今は思う。

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私にもっと合わせてみよう

私、周りに合わせるのに必死だったんだよね。

結果を見て、周りの反応を見て、ああ、こっちだったんだって周りに合わせる。

すごく周りを気にしてたんだね。


でもホントはもう少し自分に合わせても良かった。


うまくいかなかった

→もっとよく考えて、「期待される」形に近づけよう!次はもっとこうしよう!頑張らないと!


じゃなくて


うまくいかなかった

→私の精一杯はここだった。どうしたらそんな私と周りの期待を埋められるのか、考えよう。

 自分を守るために、相手に迷惑がかからないように。


もっともっと傷つく自分を守ってあげよう。

もっともっと自分を大切にしてあげよう。

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