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『悪の教典』から学ぶ、属人組織の恐ろしさ

もう半年前になるが、貴志祐介さん著作『悪の教典』を読んだ。

伊藤英明さん主演で映画化もされたこの作品。もう10年前くらいになるが、当時高校生だった私は「学園×殺人鬼」の設定が気になってしょうがなかった。しかもその殺人鬼が、生徒から慕われていて人望もありかっこいいとなると、なおさら。


生まれてから共感性が欠如している高校教師・蓮実(ハスミン)は、中学生の頃から自分に不都合のある人間を次々に殺害していた。

ハスミンはそれまで育てた組織での「人望」で人を操り、綿密な計画で慎重に疑いの目を摘む。少しでも危険だと思った人物は容赦なく消し、最終的に担任クラスの生徒全員を「卒業」させようと企てるのだ。


「読んでみたいけど、グロいし怖い」というためらいで、当時は映画も観れなかった。本を開く勇気もなかった。

あれから10年、「もういいだろう」と思いながらも若干緊張気味に、図書館にあった『悪の教典』上下を手に取った。あとは勢いそのまま貸し出しカウンターに行くだけ。借りるだけならタダだし。

上だけ読んで無理そうなら辞めよう。
そう思っていたのに、一度開いたらページをめくる手が止まらない
続きが気になり、下にいったと思ったらラストまで一気に読み切っていた。

たしかにグロいし怖いし、胸糞悪いところもある。
けれど私はこの本に出会えてよかった

ハスミンが「完全な悪」として描かれているわけでなく、殺人鬼なのに「少し共感できちゃう」ところが不思議と面白く惹き込まれるのだ。

ハスミンほど共感性が欠如していなくても、「人に対してそこまで感情的になれない」とか、「冷静(あるいは冷たい)ってよく言われる」程度の人はよくいると思う(私もそう)。

だからそんな人は、心のどこかに小さなハスミンを飼っている。自分の冷酷な部分を過剰表現したらこうなるんだろうな、と感じた。

そしてもうひとつ、『悪の教典』を読んでよかったと思える学びは「ひとりに頼り切る組織ほど怖いものはない」こと。

作中では(ハスミンが起こした)高校のさまざまな事件について話し合う際、ハスミンが「ここは私に任せていただけないでしょうか」と自分から被害者の周囲に近づく場面が多くある。

生徒、教師双方から人望が厚いハスミンは「蓮見先生が言うなら」「蓮見先生に任せれば大丈夫」と、周りから有無を言わさず自分のやりたい行動を取れてしまうのだ。


これって殺人ほどおおごとでなくても、どの組織でも起こりうることじゃない?


現状、私が所属しているオーケストラでは同じことが起こっている自覚がある。

「エビアンちゃんが言うなら」「何でもできるんだね、ここはじゃあ任せるよ」

私は今オケの運営や企画に携わらせてもらっている。平均年齢が高いこのオケで、「20代」「それなりに演奏技術がある」「積極的参加」さらに「演奏会運営リーダーの経験者」はかなり重宝されている自覚がある。

もちろん私は楽しくやらせてもらっている。このオケをもっとみんなで運営したいし、貢献したい。いい人ばかりなので年が離れていても友だちのように親しくしてくれる。

しかし、私がここでリーダーを張り、みんなに頼られるようになると。
ハスミン的な考えを横流しすると、立場を利用できてしまうのだ。

仮に私が悪意を持って役割を引き受けようとしても、「エビアンちゃんだから」でやれてしまうのだ。


だから最近は、頼られて嬉しい一方「ああ、これってハスミンみたいだな」と思うことが多い。「みんなそれじゃダメだよ、気をつけて!」と、内なる悲鳴をいつも上げている。

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