「廃校を活かそう」は、効率がいいけれど|智頭町滞在記⑦
母校が無くなることはきっと、帰る家がひとつ無くなるくらい、寂しいものなんだと思う。
「この辺りの小学校はぜんぶ閉めて、宿泊施設にしたんだよ」と、 AIタクシー「のりりん」を運転する地元の人が教えてくれた。
私が3泊したゲストハウス『ナギノ森ノ宿』も、旧那岐小学校をリノベーションした宿泊施設だった。とはいえ当時の面影はあまり残っておらず、建物の作りこそ学校とわかるものの、学校らしい名残はあまり残っていなかった。
そんな旧那岐小学校とは対照的に、黒板に寄せられた「⚪︎年間ありがとう」という文字や、今にもランドセルが詰め込まれそうな白く四角いロッカーが、そのまま残される場所がある。旧山郷小学校だ。
山郷駅から歩くこと15分ほど。中に入ると、大きな下駄箱に吹き抜けの階段。当時のままの掲示物。一気に20年くらいタイムスリップした心地になった。
事務所に一言声をかけて、ゆっくり見学をさせてもらう。
『遊ぶ広報』で先に滞在していたご夫婦が、「2年生の教室に泊まっていた」とのことだったので、そこも見学させてもらった。いくつかの部屋に区切られていて、コンパクトな部屋だった。
この施設はいろいろな用途で使われているが、2階はほぼそのまま残されていた。机と椅子を並べればすぐにでも授業ができそうだ。
空っぽの学校は、とても寂しい。
生徒の跡が残る学校は、もっと寂しい。
「小学校をひとつに統一して、空いた学校は複合施設にしよう」という考えは、大変効率がいい。空き家となった古民家をリノベーションする感覚と同じだ。
けれど私はどうしても、小学校が無くなる過程や、廃校を知ったときの子どもたちの反応に思いを馳せてしまう。ここはかつての子どもたちの思い出が詰まった場所であり、彼らの生きた証なのだ。
こうして悲しんだところで智頭町の人口が増えるわけではないし、小学校が復活するわけでもないのだが、どこか喪に服す思いで旧山郷小学校を後にした。