
人口たった3人の板井原集落まで歩いたら、かつてのヒトの営みといのちの循環を感じた|智頭町滞在記④
現在私は『遊ぶ広報』のプログラムで、鳥取県智頭町に13泊14日しています。このnoteではそんな遊ぶような旅の記録を残していきます!
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智頭暮らしの日課として定着したランニング。埼玉にいるときはジムで走っていたけれど、智頭でこうして山に囲まれながら、川沿いを走るのはとても気持ちがいい。
ある日、千代川を下流に走ると「板井原集落まであと4km」という看板が出てきた。事前調べでもノーマークだったこの場所、どんな集落なんだろう。
ゲストハウスに帰って調べると、この場所は一定区域からの車の立ち入りが禁止されていて、廃村同然の集落が見られるとのこと(実際には住民が3人いて、定期的に手入れもされている)。「廃墟好きにはたまらない」といったGoogleマップのレビューもあった。
何も予定が無かった私は「散歩がてら歩いて行こう」と、気楽な気持ちでハイキングに出かけたのだ(のちにすこし、後悔することになる)。

天気は、雲が多めの晴れ。いつものサンダルからハイキング用の靴に履き替えて、ゆるやかな車道をずっと登っていく。
顔や耳元に近寄ってくる虫たちを、扇子で仰いで追い払いながら歩き、途中で立ち止まって麦茶を飲んだ。途端にまた小さな虫たちが私の顔に寄ってきて、麦茶のキャップを慌てて締めて歩き出す。この道はいっときの休憩も許してくれない。もちろん、ベンチなどない。ひとたび森に入ってしまえばひんやりとした空気に覆われるものの、首からじわっと流れる汗がリュックと背中の間をつたった。

智頭は杉のまち。車道の左右どこまでも、杉の木がまっすぐに立ち並ぶ。まるで『進撃の巨人』の「巨大樹の森」に迷い込んだ心地がして、すこし身震いした。今巨人が出てきても絶対に逃げられないなあ、とか、杉の木はすべすべで登りづらいからすぐ食われるなあ、などと思いながら、心細さと疲れを紛らわす。
このあたりで「板井原集落まであと2km」の標識が。気軽に歩こうとしたことを、すこし後悔し始める。

程なくして、ひとつのトンネルに辿り着いた。これが板井原集落へと続くトンネルだ。『千と千尋の神隠し』を彷彿とさせる、なんとも物々しい雰囲気。ひとりで入るには怖すぎる。でも、ここまで来たんだ。引き返すわけにもいかない。

入り口上部の蜘蛛の巣に怯みながら、意を決して中を通る。「絶対に振り向いてはいけない」と思えば思うほど恐怖が増して、それをシャッターを切ってごまかした。過度に怖がる人ほど怖い体験をしてしまいがちだ、というどこから入れたかわからない知識がふと、頭の片隅から湧いて出る。
けれど、後ろから近づく ゴーーー、と反響する音に思わず振り向いてしまった。車が1台通り抜ける音だった。もちろん、振り向いたからといって戻れなくなることはない。

やっとトンネルを抜けると、そこにはもう、なだらかな坂も、圧迫感のある杉たちも、そしてトンネルをくぐる緊張も無い。びっくりするほど静かで安らかな自然が出迎えてくれた。ポツポツと建物らしきものが目に入る。
ここまで1時間半、やっと板井原集落にたどり着いたのだ。


かつてのヒトの営みを彷彿とさせる、自転車や水車。そのままを残しているところもありながら、危険な場所への立ち入りは規制されていて、集落が自然と朽ちていく様を大切に保存する様が伺える。
しばらく歩くと、子どもたちと2、3人の引率の大人たちを見かけた。幼稚園の課外活動だろうか。川遊びをしたり、釣りをしたりして楽しんでいた。こうして今でも生きる集落として活用されているところを見ると、心がいっぱいになる。



こうしてヒトはほぼ空っぽになったこの集落でも、自然は絶えずそこに在り続けている。
季節は順序よく巡り、種は天空を舞い、緑は絶え間なく茂り、花は咲き続ける。意志を持ってヒトはこの地を離れるが、いのちは構わず変わらずこの地で循環する。
「廃村の様子なんて滅多に見られない!」と、建物目線の気持ちで訪れたこの地でそんな、自然のたくましさと不変性を身に染みて感じることになった。


帰り道は歩く気力が無く、乗り合いタクシーを呼んだ。コールセンターのおじさんは「ちなみに板井原へはどのように行かれたんですか?」と、行きのタクシー予約が無かったことを不思議に思われて、いざ乗ったタクシーでも「歩いて行ったあ?!!そりゃすげえなあ」と地元の運転手に仰天された。
たしかに板井原集落まで歩いて行くのは大変だったし、もう一度行くなら絶対タクシーを使う。
けれど、ふわ、と綿毛が一斉に風に吹かれて、杉のもとへきらきらと漂うこの様は、歩いた者しか体感できないと思っている。

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