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桜を見るたび心が痛んだ私へ
会社員を辞めた理由は、これまで五万とnoteやエッセイに書いてきた。
「自分で自分の忙しさをコントロールしたい」
「好きなときに好きな場所で働きたい」
この退職2大動機にあえてもう一つ加えるとすれば、「四季を感じたい」が当時の私の切なる願いだった。
2年前の春、車窓から見る桜が悲しかった。
今年の開花が早いのか遅いのかすらわからない。実家のリビングでゆっくりテレビを観ていたあの頃が懐かしい。最新の記憶は、「大学の入学式だった4月1日に満開の桜が出迎えてくれたこと」から更新されていなかった。
お花見なんて、もう何年もしていないなあ。
あんなに綺麗な桜たちを通り過ぎて、私はこれから終電まで仕事をするのか。
桜を見ると、それを愛でる余裕もないほど働き詰めている現状を突きつけられるようで、少し心が痛んだ。いつからか、桜は私にとって羨み、妬む対象になっていた。
あれから2年、退職して2度目の春を迎えた今、私は満開の桜並木に囲まれて通勤している。近くの公園には、レジャーシートを敷いて缶ビールを飲む男女が、少し肌寒い春に身を寄せ合っていた。
やっぱりお花見がしたい。季節を感じるイベントができる状況に、やっとなれたのだから。
桜はもう、羨ましくも妬ましくもない。
純粋に「綺麗だ」と愛られる、そんな春を私は今、過ごせている。