一瞬でいいから俺のことを信じてこの本を読んでくれ【生き方編】
なんとなく、本の紹介を始めることにする。
読書家と胸を張って言えるほど本を読んできた人生ではないが、それでもそれなりに出会ってよかった本はある。運命的な本との出会いを僕の手によって奪ってしまうことは申し訳ないが、それでも読んで欲しい本があるんだ。
今回は生き方について考えさせられる本を3冊ピックした。前置きはここら辺で。
はじめての短歌|穂村弘
僕たちはこの一つの世界の中の、合理性と必要性の「生き延びる」世界とそこから逃れた「生きる」世界とを転々としているらしい。幼い頃は「生きる」世界のなかで気ままに過ごしていたが、気づけば「生き延びる」世界の割合が増えてきてしまった。塾の宿題や学校の課題に追われて「生き延びる」あなたもふと空にある月が満月であることを見つけた時やバスが来るまでの間に好きなバンドの曲を聴く時は「生きる」時間を過ごしているだろう。苦手な体育教師だって家に帰れば家族との時間を過ごしているだろうし、気になるあの娘も意地悪あの娘も「生きる」世界をどこかしらに持っているんだろう。
この本は良い短歌を改悪し、その改悪前後を比較することで良い短歌とは何かを論じる短歌論の形をとっている。それと同時に、前述の「生きる」と「生き延びる」について比較し、「生きる」世界への誘いを行っている。なんとなく大切な物を失ってしまった気がする人や繰り返しの日々に辟易している人へ、短歌という「生きる」世界への視座を与えて「生き返らせてくれる」本だ。短歌に興味ない人もある人もまあ読んでみてね。
深夜特急|沢木耕太郎
思いつきでデリーからロンドンへ乗合バスでいくことを決意した筆者の旅行記である。様々なトラブルは旅につきもので、この旅も例外ではない。
この本を旅人のバイブルだと言ってしまうとなんだかもったいないが、そういう他ないだろう。ただ、まだ諦めないで欲しい。安心して欲しい。ここでいう旅とはやけに色彩豊かなフォントを世界地図の上に重ねた旅ではない。堕落と憂鬱の中に微かな喜びを探す旅だ。旅がやけに輝いたものになる前の、携帯もネットもない時代の旅には失われつつある不確実性と非効率性が残っていて逆説的に鈍く輝いたものとなっている。人生が旅であるのならばその鈍い輝きが本来の僕らの人生なのかもしれない。だとすれば目的地はどこで、交通手段は何なのだろう。この本を読みながら当時の筆者とともにその答えを考えよう。自由とは案外いいものではないかもしれない。ともかく、自由な生き方を求める人や遠くへ行きたい人に特におすすめ。
書を捨てよ、町へ出よう|寺山修司
僕の寺山修司の勝手なイメージは、毎週金曜夜に行く居酒屋の何時からいるか分からないような常連客で、聞いてもないのに講釈垂れてくるおっさんという感じだ。ただ、自分にとって必要で刺さる言葉を放つのは意外とこういう人だったりする。
安定性だったり人当たりの良さだったり、広くそつなくこなすことを優れているとみられる過程を経て僕たちは本当に多くのもの得てきたのだろうか?寺山修司はそつなくこなす僕たちへむけて「パチンコを打て」「ステテコをはけ」「家出をしろ」と様々なアジテーションを並べる。もちろん相手はただの面倒臭い常連客なので話半分に聞いているのだが、なんだか確かにパチンコを打った方がいいような気がしてくる。というか、パチンコを打たなければいけなかったのだと気づいてくる。僕たちの人生に必要だった物は平均評定4でも年収2000万でもなかった。パチンコでの大当たりだ!目が覚めた!ありがとう寺山修司!そう思った時、寺山修司はすでにサッカーと金玉についての話を始めている。
人生が退屈で逃避願望がある人に、身近な逃避先を教えてくれるこの本がおすすめ。
終わり
とりあえず以上3冊を読んでみて欲しい。始めてこういった文章を書くのであまりあなたを乗り気にさせられなかったかもしれないが、とにかく読んで欲しい。金輪際、俺のことを信用しなくてもいいから。