見出し画像

海外出版への長い道のり

小学校5年生の時、校内弁論大会で優勝した時の作文は、「おじいちゃんが歩いた」というタイトルだった。
文章の書き方を習ったことはないけれど、読書家の姉の影響を受けて、学生時代は本当によく本を読んでいた。
いつしかライター業を任されるようになり、「書くこと」は常に私の日常にあった。

しかしあの頃は、誰に見せるわけでもなく、ただ書き続けていた。
あまりにも苦しくて、孤独で、何度も人生を諦めようとした。

でも、書き続けていた。
きっとそれが、私にとって唯一の生きる場所だったから。

******

2003年3月11日。
私の人生は、たぶん180度の方向転換をした。
ここで多くを語るつもりはないけれど、とにかくそれまでの「当たり前」という概念がすべて失われた日でもあった。

2011年3月11日。
東日本大震災という未曾有の災害が日本を襲った。
多くの犠牲者の御冥福を祈りながら、私は「伝える」という行動を採択した。

たくさんの葛藤があったけれど、私の書き綴ったものが、誰かの光になってくれるのならと、続編も伝え続けた。

この頃から、私たちの住む米国、ニューヨークにいる人たちに、私たちが移民として歩いてきた道のりを、きちんとした英語で伝えたいという思いが大きくなっていった。

******

子供の頃に覚えた、いわゆるバイリンガルの英語ではないけれど、私も日常的に英語を話す。
英語で仕事もするし、たいていの会話には不自由しない。

でも、英語で自分の想いをすべて伝えることは、到底できない。
日本の雑誌に記事を書いたり、本を書いたり、生業として日本語を扱うことをしてきたからこそ。
そのニュアンスを、私の思う通りに、きちんと英語に変換できているかについては、まったく自信がない。

運命の糸が引き合わせたかのように、素晴らしい翻訳チームに出会ったことから、新しいプロジェクトが動き始めた。
移民として戦い続けた日々を、同じ土壌で生活しているアメリカ人に伝えるためには、日本人向けの文章では通用しない。
日本人にしか分からない文化的背景を、アメリカのそれに置き換える作業とか、必要な場所に注釈を加えていく作業をしてくれる仲間が必要だった。

大手出版社にはそっぽをむかれた。(正確に言うと、ずっと待たされた挙句に、フェードアウトされた。)
最初は動いてくれていた出版プロデューサーも、いつしかパッションが薄れていったのだろう。
どうせ英語は読めないからと、周囲は静かに見ているだけだった。

長い、長い時間が、経過した。

でも、諦めずに、一緒に走り続けてくれた仲間がいた。

******

あの日、この世に生を受けた長女が、今年3月11日に18歳の誕生日を迎える。
日本でも、自分の意思を伝えられない障害者や高齢者に対する「成年後見人制度」の認知度が少しずつ上がっているけれど、
米国でも、親の私たちが「ガーディアン」と呼ばれる立場に居続けるための手続きを始めなければならない。

その節目となる時までに、著書を英語版にするという目標が、まもなく達成されようとしている。

ここまでの苦労を綴ることは別の機会に譲るとして。

******

手前味噌だが、実に素晴らしい翻訳本が完成した。
シリアスな内容を、わかりやすい英語で、実に的確に伝えてくださっている。
自分の言葉が、こんな風に英語で表現できることを、初めて体感した。
英語の教本としても、もしくは社会モラルの教科書としても、大いに役立つ機会があるのではないだろうか。

「bear」という単語の過去分子「born(誕生)」と「 borne(背負う、耐える、実る)」から、新しいタイトル『Born(e)』が誕生した。
言葉の補足や追加に使われる記号( )カッコは、「本当は必要のない・重要な意味を持たない」もののはず。
不自由や障害を背負い、耐えて、そこから実りを得ていく(borne)ことよりも、(e)が取れて、すべての人がありのまま(born)受け入れられる社会になってほしいという願いを込めて。

是非、たくさんの方々にこの本を手に取っていただけたらと思います。

米国の片隅で小さな声で叫び続けた日系人のことを応援してくださる方がいらしたら、是非、このNOTEをシェアしてください。
よろしくお願いいたします。

*******

画像1

画像2

******
日本で刊行された拙著2冊に新しいメッセージを加筆して英訳された「Born (e)」、初版限定販売に関しては、下記にお問い合わせください。

一般社団法人 未完の贈り物 事務局:info@mikanno-okurimono.org


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集