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コロナ感染と「ありがとう貯金」の話

まず、これを書いている今は、すでに寛解していることを伝えておきたい。
隔離期間を終え、2本線がちゃんと消えてから、社会復帰している。

2020年初め、日本で少しコロナの話題が浮上してきた頃、「対岸の火事」を見ていたアメリカは、のどかだった。
それからあっという間に飛び火して、2020年3月20日、ニューヨークの街は「ロックダウン」状態に入った。

コロナ理由で友人が亡くなり、コロナ理由で仕事がなくなった。
歴史に残るような世界的な事象を、異国の地で乗り越える苦痛と不安は、
きっと日本にいる方には分からないかもしれない。
取り残されたような気持ちは、果てしなく続いている。

1年も経たないうちに、世界中がワクチン情報に踊らされた。
私は必要に迫られて接種したけれど、それを公言しただけで批判されたし、何が正解かは今でも分からない。
ブースターもすでに2回接種している。(しつこいけれど、必要に迫られたからで、正解かは分からない。)

そして、遂にコロナに罹患した。

少し喉が痛いなと感じてから、あっという間に高熱が出た。
PCR検査キットで、すぐ陽性反応は出なかったけれど、いつもの風邪と違うのは自分で分かった。
2本線が出てからの5日間ぐらいは、本当にしんどかった。
最近罹ったという友人は皆、発熱は1〜2日でおさまったと聞いていたけれど、アメリカの菌は強豪なのか。
大人になってからの39度台後半は、本当にしんどい。

感染源を辿ることよりも、自分が人にうつさないことが重要。
自宅の物置部屋に引きこもり、動線を最小限に抑える。
辛いのは、自由に水を飲めないこと。喉が痛いから。頭痛もひどい。

家族に迷惑をかけながら、「ありがとう」と「申し訳ない」と「すみません」ばかり言い続けていた。
岸田奈美ちゃんが「ありがとうは貯金と同じで、言い続けるとすり減っていく。生きていてごめんなさいと思ってしまう」と言っていた。まさに。

10日間以上の隔離生活。
症状が落ち着いて、2本線が完全に消えてから、社会復帰した。
実はこの間、物置部屋からのズームで、ずいぶん打ち合わせには参加していた。
ほとんどバレなかったけれど、ボーッとしていたかもしれない。ごめんなさい。

要するに。
どんなに注意していても、罹る時は罹る。
そして、ワクチン効果はきっとある。あった。

私は幼い頃から喉咽頭系が弱くて、偏頭痛の持病と、まるで持病のように毎年罹るサイナス(副鼻腔炎)に悩まされている。
ワクチンが効いていなければ、もっと重篤化していたかもしれない。

あとは、後遺症がどこまで残るのか。
倦怠感が抜けないとか、疲れると頭痛がひどくなるとか、匂いや味覚がおかしいとか、たくさんあるけれど。
一番恐れているのは、ブレインシュリンク。
今まで以上に、物忘れがひどくなるのかな。

離れて過ごす千璃を想う。
彼女はすでに3度コロナに罹患している。
病弱の子が多い寮生活で、クラスターは避けられない。
視覚を持たない彼女から、食事の楽しみ(味覚、嗅覚)を奪わないでほしいと願う。

コロナを憎んで、人を憎まず。

そろそろ終焉を迎えてもいいんじゃない?







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