"We"の多用に隠された日本人的マインド
英語力が上がってくると、マインドや考え方を英語人寄りにする必要が出てきます。もしかしたら多くの人が通る道は、「Weをたくさん使ってしまう」ではないでしょうか?
日本で英語を学んだ私にも、"We"が好きだった時代はあるので気持ちはよくわかります。本来は、"I"と言うべきところを"We"と言ってしまうのですよね。
理由は、"We"だと責任者が存在しない感じがして、安心だからかもしれませんが、それこそ責任者が明確な英語圏にそぐわないことになります。
例文があった方がわかりやすいと思うので、ビジネスケースに基づくライティングの例を載せます。
I found out Mr. Sato stole the Company`s money.
Now we are planning to have a talk with a corporate lawyer how we should proceed to deal with him.
(佐藤さんが横領したことがわかりました。顧問弁護士とどのように対処するかこれから相談します。)
"We"が2回出てきますが、問題はこれが誰を指すのかです。最初の文章には、私と佐藤さんしか出てきていません。そうすると「私と佐藤さん」が顧問弁護士に佐藤さんの対処法について相談に行くことになり、なんだかおかしな内容です。本人を連れて弁護士のところに相談に行く訳はないです。
私と私の上司なのか、私と人事部の同僚なのか、私と法務部の人なのか、まず登場人物が明確に書いてある上で、"We"が成り立ちます。
前出の3行の文章からだけ推測すると、顧問弁護士に相談に行くのは私1人と推測できて使うべきは、"I"だということになります。
英語圏と比較すると集団主義の日本社会で育った日本人が、"We"を使わない習慣を身につけるには時間がかかります。長い間染みついた"責任を分担するWe"を卒業するのは簡単ではないからです。
"We Japanese"という組み合わせも、どこかで卒業したいですね。
■ 私はセミナーに参加しています。参加者は全員日本人です
→ We イコール Japaneseが成り立ちます。
■ 私は日本にいてオンラインの異文化交流会に参加しています。
→ 11カ国の人が参加しています。
We イコール Japaneseではありません。
■ 私は出張でフィリピンのセブ島にいます。
→ セブ島はあまり多様性が高くないです。
We イコール Pilipinos でしょうか。
■ 私はオーストラリアのメルボルンを旅行しています。
→ メルボルンは300カ国から人が集まる人種のるつぼです。
Weイコール誰のことも指さない気がします。
こうしてみると、WeイコールJapaneseと思ってしまうのは、日本の多様性がまだ低いからかもしれません。常に置かれた環境を思い出すと We Japanese というフレーズを手放せそうです。
しばらくは、"I"と始めることに抵抗あるかもしれませんが、慣れなので状況をよく見て、"We"ではおかしくないかどうか、一呼吸考えて口に出すようにできますように。
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('O'*) 右脳の女王からおまけ ('O'*)
バルコニーできゅうりを育てることにしました。夫が庭で育てた苗が少し余ったとか。ホームセンターでプランターと土を買ったのですが、私が選んだプランターは、売り場で一番「オシャレ」なデザインのもの。 夫は苦笑してましたが、右脳の女王たるもの、重要なのは色とデザインなのですよ。ねw