北大路魯山人は「お笑い」の人だった?!
何必館で開催されている北大路魯山人の展覧会レビューを、Lmaga.jpに書いたが、我ながら新鮮味のない文章でモヤっとした。「器は料理の着物」とか、海原雄山のモデルになったとか、みんな同じこと書いてるし。
崇高で狷介な芸術家とか、食のプロデューサーとか、ありきたりの魯山人像をはみ出すものを、私は魯山人に感じている。書くべきは、実はそっちだった。一言で言おう。「魯山人は笑える」。
去年、美術手帖の「100年後の民藝」特集で、情報ページの執筆を担当した時に読んだ出川直樹「民藝 理論の崩壊と様式の誕生」に、魯山人が「柳宗悦の民藝論を冷やかす」としたエッセイが紹介されている。
魯山人が、昭和5-6年のあいだ、主催した雑誌「星岡」で、柳宗悦と民藝を罵倒したのは一度や二度ではないようだ。柳は魯山人より6歳年下。難解な理論を持ち出して工芸美術の空論を弄ぶエリートがさぞ気に障ったのだろう。「ひやかすの記」では、もう柳のことは呼び捨て。感情むき出しでボロカスである。しかし、この品のなさを差し引けば、同時代でこれほど正面から柳の「民藝理論」の矛盾を巧く笑った人はない。いや、やり方は巧くなかった。下品すぎて誰も間に受けなかったのだ、これを出川さんは残念がっている。下品暴言のなかには膝を打つ部分がいくつもあって、私がずっと感じてた柳宗悦(と信者)の病的な感じを、見事笑い飛ばしてくれている。
とくに「工芸は時代の産物であり、これを無視して往古にあこがれるのは現実に即してない」と言い切るこの部分。
「大津絵も石皿もあるいは大津絵であっても、徳川期という時代がひとりが点に生んでくれたもの、お前のような世話焼きがあって生まれたのではない。元来、過去の産出にかかる工芸をもう一遍世にだしたいというなどと考えるのが正気の沙汰じゃないんだ」
魯山人、岡本太郎、勅使河原蒼風、棟方志功の妖怪座談会
全文は河出書房新社の「魯山人」で読める。そしてこの本に、魯山人、岡本太郎、勅使河原蒼風、棟方志功の座談会が収録されている。この妖怪級のメンバーに、当初は青山二郎が加わる予定だったそうだ。無断欠席した青山に魯山人は「少しも根が無い。縁日の植木みたいなもので」とハナから落語みたいなツッコミ。座談会は「おい帰るのかい」(北大路)、「おしっこだ」(岡本)てな調子で、相当グダグダだったようだが、話の流れは、相当おかしい。主役の魯山人は笑える語録をいくつも放っている。
「小味の中には大味が入っていて、大味の中には小味は入っていない」「岸田劉生というのはタカの知れた絵描き、タカの知れたものの中に入るのは実は上等なものだ」。これ、明らかに笑わせようという意図ありありですよね。
啓蒙というのは笑いが抑圧された状態だ。魯山人は柳宗悦のような啓蒙家、「笑えない奴」が大嫌いな「お笑いの人」だったんじゃないか。魯山人を批判する人のなかには、明らかに「笑えない」タイプの人がいる。骨董や工芸を超お真面目に勉強された白洲正子も、その部類にみえる。上からでは、魯山人の言ってることはわからないだろう。
今後「お笑いの人」として、魯山人を眺めてみたいと思う。