「神歌」は、「常に問うたり」と聞こえる
3月19日「林定期能あらため。SHITEシテ。」第一回@京都観世会館。
最初に神歌を聞く。
コロナで外出できない時に、弘道館制作(撮影監督:みなもと忠之)の動画「開物楽(かいぶつがく)ーみたまふりー」の「神歌」を毎日見ながらストレッチをやっていた。(呼吸と深〜くシンクロするんですよ、ぜひお試しを)
「神歌」は能の「翁」の、謎めいた詞書なのだが、サビの「たえずとうたり つねにとうたり」が、空耳で「問うたり」に聞こえて仕方ない。
時節柄、(人生的にも)何かと先の見えない時、天から降ってくる「絶えず問うたり」の声は格別に響きが深い。
当主の林宗一郎さんは「問うたり」の人だ。
つねづね「シテは(西洋演劇での)“主役”ではない」とおっしゃって、入門書が教える「シテ=主役」の思い込みを問いただされるのだが、その意は「安宅」をみたときに、一門のチームプレイ感からビンビン感じられた。
上演前の丁寧な解説も、夕方一幕だけの上演スタイル「プチ能」も、そして「林定期能あらため。SHITEシテ。」という名称もまた、能の今とこれからを問うている。
時節柄、(人生的にも)何かと先の見えない時だからこそ、耳障りのいい言葉や簡単な答えに飛びついてはいけないと思う。
空耳でもいい。絶えず問うていたい。
コロナ禍で、多くの能楽師が動画に挑戦していて面白かったが、とくに楽しかったのが、片山九郎右衛門さんから始まる能楽師の「高砂」リレー。
能楽師たちが「高砂」を順番に謡ってゆくのだが、地謡で座ってのを見たことあるな、程度にしか知らなかったあの人、この人が、ご自宅稽古場が背景で、録音状況もバラバラな動画をアップ。皆さんの等身大が伝わるようで、ぐっと近しく感じられた。どんな制限があっても、できることを「問うたり」なプロジェクトだったと思う。
「能の入り口をつくる」ことは、いまや全能楽師の挑戦だが、九郎右衛門さんのこれには、逆に問いたいことがありすぎる!思わず買ってもた!
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