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神戸のネバ友から届いた「note」


【友だちのおはなし】


個性豊かな友だちを綴る勝手に友だちシリーズ。

友に向けた、私からのラブレター。

🔸「米粉を操る女
🔸「彼女にフリージアの花束を
🔸「ツキコを演じたあの子

友だちシリーズ



第4段。


ネバ友、神戸在住のYりんごのはなし。
(ここで問題です。ネバ友の「ネバ」はどういう意味でしょうか)


出会いは遡ること、19歳。
大阪から上京して間もない頃だ。

あるメーリングリストを通して私宛に1通のメールが届いた。


「私もJIROのファンです。私の好きな人がmikaさんと同じ名字で、関西出身で、歳も同じだし、気になってメールしました!よろしくお願いします」


みたいな、内容だった。

私たちのネバ友人生は、そこからスタートする。

あ、ちなみにJIROとは、GLAYのベースのJIROのことだ。
私は当時、ビジュアル系バンドが好きで、中でもGLAYの大ファンであった。


Yりんごと初めて会ったのは、GLAYのLIVE会場だった。

出会った瞬間から大爆笑だった。
わかんないけど2人で爆笑したのを覚えている。

彼女はピアスをたくさんしていて赤い髪の毛がとても可愛かった。

彼女は軟骨にピアスを開けていた。

軟骨ピアスは、私が勇気が出なくて開けられなかった場所だ。
私も7個ピアスを開けているが、どうしても軟骨には開けられなかった。軟骨に開けた友人が穴を開けるときに「カッコーン」て音がしてめっちゃ痛かったという話をしていて、ビビってしまったからだ。

彼女は、その軟骨にピアスをしていた。

「軟骨にピアス可愛いなぁ」

と憧れの眼差しで言うと

「でもな、見て。耳、裂けそうやねん!」

と大笑いしながら見せてくれた。
よく見ると、彼女の耳輪が本当に裂けそうで赤紫色をしていた。

私は、やっぱり軟骨ピアスはやめておこうとその時心に誓った。


それが、GLAYのLIVEが始まる前の待ち時間に、彼女と最初に盛り上がった話しだったと記憶している。


彼女は神戸出身の埼玉在住
私は大阪出身の横浜在住

彼女は専門学生
私は大学生

離れていたが、若かった私たちはフットワーク軽くどこでも出かけてよく会って遊んでいた。

新宿の歌舞伎町にあるカラオケBOXで、GLAYの歌を歌いまくってオールしようということになった。

私たちは、若かった。

2人でGLAYの歌を朝まで歌いまくった。

私たちは、若かった。


明け方、歌舞伎町を2人で歩いていると、仕事終わりのホスト数人が近寄ってきた。

ホストに両サイドから挟まれた私たち。

無視して歩いていると、そのうちの何人かが私たちの前に立ち、行く手を遮った。


左に行こうとすると、ホストもついてくる。
右に行こうとすると、ホストもついてくる。

「ちょっと、どいてや!!!」
「えっ!関西弁!!どこから来たのぉ」


上京して間もない私たちは、まだまだコテコテの関西弁が抜けずにいた。

なんやかんや絡まれているとき、私の背後に何か気配を感じた。

驚いて振り向くと、ホストの一人が私のリュックに手をつっこんでいたのだ。


「ちょ、何してんねん!!!勝手に触らんといて!!!!」


と、私はブチ切れ、Yりんごの手をひき2人で走って逃げた。


「逃げたぞ!」


と、ホストたちは追っかけてきた。


しかし、私たちの足はめっちゃ早かった。

歌舞伎町を抜けると、ホストたちは追っては来なかった。

若さって、素晴らしい。


Yりんごとのエピソードを思い出す。

Yりんごが変な外国人に追っかけられていると、切羽詰まり気味に私に電話をかけてきて、実況中継しながら逃げたこと。

一緒に箱根の温泉に行った時、旅館の夕飯時に隣の席に座った酔っ払いのおっちゃん2人に絡まれたが、Yりんごはお得意の会話術でおっちゃんたちを見事に大人しくさせてくれた。
私はその横で黙々と食べていた。


・・・絡まれネタ多いな。


あとは、2月の(クッソ)寒い中、富士急ハイランドに行ったこともあった。
極寒だけに、貸切状態だった。

エンドレスFUJIYAMA。

私たちは、若かった。


たくさん一緒にGLAYのLIVEにも行ったし、たくさん一緒に遊んだ。


私たちは、お互い卒業の時期を迎え、彼女は神戸に戻り、私は演劇の道へ。


お互い自分の道を歩み出し、今までのようにすぐには会えなくなった。


それでも、年初めや、お互いの誕生日には必ずメッセージを送り合っていた。


Yりんごと知り合ってから20年以上が経つ。


私は、noteを始めたことを彼女に伝えた。
彼女は今までの私の記事を一気読みしてくれた。

彼女の知らなかった私が綴られていて、彼女は心から感動してくれたそうだ。


それから数日後。


Yりんごから郵便が届いた。
開けてみると

1冊の「note」が入っていた。

幼稚園のお迎え帰りだった私は、IDカードもはずすことも忘れ、幼稚園の布袋も腕に下げたまま、その「note」を開いた。



そこには、私への想いと、私の知らなかった彼女の数年間が書かれていた。


私は、泣きながら読んだ。
遠くで息子が、何か言ってる気がするけど、私は彼女からの「note」を読むのに夢中だった。


知らなかった、全然知らなかった。

彼女にいろんなことが起き、いろんなことと向き合い、いろんなことを乗り越えてきたことを初めて知った。


涙が止まらなかった。


16ページにも及ぶ彼女が綴った「note」。


私は、彼女の数年間を大切に大切に受け止めた。


同時に、彼女と爆笑した日々も蘇ってきた。


だって


こんなの貼ってるんだもの。




20歳の私は熊と闘っていた。



何やっとんねん。



1通のメールから始まった私たちのネバ友人生。

今もずっと続いている友情が嬉しくてたまらない。

そして、今回彼女から届いたこのサプライズ「note」。

お互いのnoteを通じて、お互いの想いがお互いに伝わり、また絆が深まった気がしている。


あ、そうだ。これだけは言わなくちゃ。

彼女が綴った「note」で、私の推しが「高橋文哉」さんだと確信して話を進めていたが、


違います。笑


さて、冒頭の「ネバ友」の「ネバ」の答え。

一緒にいると喋りまくって口の中がネバネバになるから


ネバ友


もし、当たった人がいたらあなたは、最強です。


Yりんご、私を見つけてくれてありがとう。


あなたは気づいているだろうか
自分が愛と優しさでできていることを

あなたは気づいているだろうか
自分が果てしなくオモロい人間であることを
まわりにいる人が笑顔になっていることを

あなたは気づいているだろうか
絶対に幸せがあなたを逃さないことを


私はこれからも、あなたの味方だ。
あなたの人生の全てを応援している。

forever my ネバfriend!!

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