「学校に行かない」息子のホップは整った
息子は、現在小学2年生。
入学して2ヶ月で学校に行かなくなった。
あれから約1年3ヶ月。
息子は今、次のステップに進むタイミングを迎えているのかもしれない。
入学当初私は毎日付き添い登校していた。
覚悟はしていたが、想像以上に母も子もしんんどい毎日だった。
集団が苦手な上、不安が強い息子は、一般級に籍を置きつつ、メインは個別支援級からのスタートだった。
しかし、
え、ここ、個別だよね?
それが、最初の私の印象。
指示と注意だらけの世界。
何かしらの問題を抱える子供たちがいるクラスだとは到底思えない。
正直、先生方の知識がなさすぎると感じた。
でも私は自分の抱いた違和感に蓋をして、とにかく息子のために毎日付き添った。
その頃は、まだ学校に行くことが私にとって「当たり前」だった。
だから、息子が学校に行けるならと、頑張った。
決められたことをみんなと同じようにきちんと座ってやらなくてはいけない世界。
それは息子にとって、最もしんどい世界。
教室の後ろから見る息子の小さな背中は、ものすごく窮屈そうだった。
その世界で、息子は頑張っていた。
「学校はみんなが行かなくてはいけないところ」と、息子もまたそんな風に思っていたのかもしれない。
だから、窮屈な気持ちに蓋をしながら、ものすごく頑張っていたんだと、今ならわかる。
ある日、いつものように息子が給食の準備をするのを側で見ていると、息子が言った。
「お母さん、帰っていいよ。」
私は突然のことに驚いた。
「えっいいの?やってみる?」
息子は小さく頷いた。
終わる頃迎えに来ることを約束し、入学してから初めて私は息子から離れ、帰宅することができた。
私は泣きながら帰った。
大丈夫かもしれない。もう、息子は大丈夫かもしれない。
諦めなくてよかった。頑張って付き添ってきてよかった。
そんなことを思いながら帰宅し、泣きながら一人家でお昼ご飯の冷凍たらこスパゲティを食べた。
気になって仕方がなかったので、下校時刻よりもかなり早めに待ち合わせ場所で息子を待っていた。
息子はどんな表情で来るだろうか。
私はドキドキが止まらなかった。
向こうから息子がランドセルを背負って駆けてきた。
ああ、自分で帰る準備できたんだ。
自分でランドセル背負えたんだ。
自分で下駄箱に行って上靴脱いで靴を履いたんだ。
私は息子がそれら全てを自分でやってこれたんだと思うと、胸がいっぱいになり泣きそうになった。
息子は笑顔だった。
その顔は、自信に満ちていた。
「おかえり」
私たちは、とても幸せな気持ちになりながら、手を繋いで笑顔で帰宅した。
息子は、もう大丈夫だ。
私はその時、今日という1日が、明日に繋がると、そう思っていた。
その夜。
息子は大量に嘔吐した。
その日を境に、息子はだんだん学校に行かなくなった。
どんどん気力がなくなり、食べられなくなり痩せていった。
学校どころではなくなった。
食べられたとしてもヨーグルトくらい。
そんな弱りきっている息子を見るのが本当に辛かった。
あの日、自分の限界を越えてしまったんだろう。
なぜ息子の限界に気がつかなったんだろう、なぜ私は喜んでしまったんだろうと自分を責めそうになったが、でもあの時やってみようと思った息子は確かに存在していた。
駆けてきた息子は自信に満ちていた。
あの日、幸せな気持ちになって2人で手を繋いで帰ったことは、紛れもない真実だ。
まずは何よりも、息子の安心と自信を取り戻す日々が始まった。
あれから、もう1年以上が経つ。
息子は今、心も身体もすっかり元気になった。
ありのままの息子を受け止めてくれる居場所を見つけて、週3回ほど通っている。
どんどん息子の閉じていた花が開いていくのがわかり嬉しかった。
それでも以前は、居場所で気持ちが整ったら、学校に行くかな、行ってほしいなって思っていた。
学校の先生と密に連絡を取り合い、なんとかして息子が「学校に行きたい」という気持ちになるように頑張っていた。
勉強はしなくていい、息子だけの個室を作ったり
砂場でチャイム気にせず遊ぶことを許可してもらったり
体育館貸切にして先生と遊んだり
工作、レゴ、創作活動何したってOK
個別の友達だってみんな歓迎してくれた
先生だって付き添ってくれる
これでもかっていうくらい、不安要素を取り除き、安心な環境を整えた。
でも、息子の気持ちは変わらなかった。
「学校行きたい」に、どうしても繋がらなかった。
月日が流れ、今、息子が学校に行かない生活が当たり前になっている。
あんなに学校に行ってほしいと思っていたのに、私はもう「学校」に行かせることを含め、息子に何か行動を起こさせようと頑張っていない。
あの頃ペアトレを受けていたこともあり、繊細な特性を持つ息子の対応を丁寧に丁寧にしていた。
でも、今はなんだか、すごく・・・雑だ。
もちろん息子の特性は理解している。
でも、以前ほど頑張っていない。
それはいいことなんだろうか。
自分ではよくわからない。
「不登校」というストレスはもちろんあるのだが、学校に行っていない息子が当たり前になり、ごく自然にそこに居て、私もごく自然に接している。(めっちゃイライラするけど)
つい先日、息子がいきなり「学校に行きたい」と言い出した。
私は、「おお、そっか良いじゃん」と、普通に返事をした。
以前ならきっと拍手喝采驚きマンボーでマラカス振って踊るくらいになるところだが、私はその言葉を聞いても全くもって平常心だった。
それはきっとこの1年で、学校が全てじゃないとわかったから。
息子は決められたことをするのが本当に苦しくて、自分から湧き立つ感情でしか動けない。
怠けてるとかじゃなくて、息子にとって学校のあの環境が、窮屈で苦しくて仕方ないんだということが、息子と過ごしてきて、以前より分かった気がしている。
「学校に行こうかな」も、嘘じゃないけど、思いつきで言ったかもしれないということも、私は理解している。
なぜなら、この1年で、その言葉に期待しては玉砕してきたから。
息子は今、暇だという言葉を連呼する。
こちらが気が狂いそうになるほど連呼してくる。
一緒に絵の具〜♪とか、一緒に工作〜♪とか、トミカでごっこ遊びぃ〜♪とか、そういうのはもうずっとこの数年やってきたので、私が無理だ。
それは息子も理解しているらしく、誘ってこない。
代わりに、「暇だ暇だ」を呪いのように連呼する。
「何すればいいんだ!」
と逆ギレすることも。
何を提案しても、「だってさぁ」と文句ばかり。
彼から発せられる言葉は見事にネガティブワード。
「暇だ!を、何しよかっかな〜♪」って言い方に変えてごらんと伝えてみる。
コップの水を見せて、「これだけしかない、って思うか、これだけまだあるって思うか。全てが変わってくる。自分次第だよ」と、伝えてみる。
息子は黙っていた。
この1年。息子は何かを作り続けていた。
段ボール、廃材、LEGO、ブロック、磁石、レジン、ジオラマ・・・
とにかく、世界を創り出していた。
安心安全な家の中で、気持ちを整えながら好きなことをとことん追求していた。
しかし、この所あまり創作意欲がなく、「暇だ」の連呼。
だからといって無気力でもない。
聞くと、もう、家でやりたいことやり尽くしたらしい。
お?
と、思った。
これは、次のフェーズに行くタイミングなのではなかろうか。
もちろん学校はつまらないから行かないとのことで。
先日、学校で面談があったが、お話にならなかった。学校側なす術なしと、遠回しに言われたようなもん。
こちらに丸投げ状態。
さて、どうしましょう。
居場所は週3回。それは確保しつつ、、、何か、何かないかと思う。
息子は、その何かを求めている気がする。
ホップ ステップ ジャンプ
「次のステップにいくためには、ホップがいる」byみうらじゅん
もう安心安全な環境で自分の好きなことをやる、そのホップは満たされたようだ。
大切なことは学校に行く行かないじゃない。
白か黒じゃない。
何がしたい?
どんなことがワクワクする?
大切なのは対話だ。
その中からきっと見つかるはず。
不安で仕方ないから、書きながら、自分に言い聞かせている。
息子なら、きっと見つけるはず。
見つけた時、あなたはものすごい力を発揮する。
学校に行かなくなった息子と向き合った1年
学校に行かないことを選んだ息子と向き合うこれから
とにかく、居場所がないとやることがない。
時間があり余っている。
このnoteを綴っている側で、息子は、1人コントみたいなことをやっている・・・。
バナナの皮に足を滑らせて、ずっこけるというものだが、笑いのクオリティが微妙で反応に困る。
息子のホップは整った。
ステップはどこなんだ!
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