醜形恐怖症という病
醜形恐怖症を始めとして、夫源病や勃起不全症などなど、昔はなかった病気が増えてきました。
漠然としている症状、疑問に思っている症状が言葉になった時、目に見えてわかった時に、それはその人の真実に変わります。
しかし、顔のつくりが原因、夫や妻が原因と、目に見えるものばかりにフォーカスしているうちは、病気は治るどころか、より自分との関係や夫婦の関係悪化するでしょう。
なぜなら、現実は、私が辛くて、苦しいのはこの顔が醜いからだ、太っているからだ!という自己否定が無意識にあり「何で私ばっかり」「もっと〜なるべきだ!」という負の感情を生み出していきます。
現実そのものは実際にないけれど、出来事の受け取り方次第で外見や関係性が変わっていくのです。
その感情が生まれる潜在的なところを深く見つめると、本当の美しさ、優しさ、自分を大切に扱う意味に気づくかも知れません。
結局見た目は内側の心の在り方の反映なんです。
なぜ人は見た目を気にするのか?
ヒトは狩りや木の実採ったりしていた時代から集団で生活を営んでいました。現代でも人は国や地域、家族、学校、職場など、いろんな集団に所属しながら生活をしています。もちろん集団生活を営む動物は人間だけではありません。
哺乳類に限らず、鳥や魚、昆虫などにも群れをつくって生活しています。
これらの生物が集団生活をするのにはいろんな理由が考えられるんですが多くは
・外敵から身を守るのに役立つ
・食糧の確保が効率的になる
という安全というメリットがあるからだと考えられています。つまり、群れで生活をするのは安全性を高めること、生き残っていく上で極めて重要で、そういった動物が集団から外れることは死を意味する、ということにもなります。
現代の人間の場合は、集団から外れたからと言ってそれがすぐ死に直結するわけでは
ありませんが、安心できる居場所を求めて、集団に所属したいという生物の本能的な欲求が備わっているからだと言うことです。
他人の目が気になる根本の原因には、「集団内に居場所が欲しい」と思う人間の本能的な欲求があります。
現代に生きる人間は集団から排除されたからと言ってそれで死んでしまうわけではありませんが、太古の昔から受け継がれてきた社会的動物に特有の「所属欲求」という本能的な欲求によって集団から疎外されることに潜在的に強い恐怖を感じるようになっていて、そのために他の人の視線が過剰に気になってしまうのです。
しかし、現代は食料もあれば、日本は比較的に安全な国です。
不安は慢性的な緊張状態をつくり、顔が強張り、その顔を見た時に恐怖を感じます。
後天的な症状や病気のほとんどが、こうした緊張状態がストレスとなったものです。
ここに気づいて、今から、今日からでも「緩める」ことを意識してみて下さいね。
簡単な方法としては、深呼吸や温かい飲み物を飲む、お気に入りの音楽を聴いたり、お風呂にはいる…。ぜひお試しください!