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わが家の”母の味”
わが家の今日の夕食は、新たまねぎの丸ごと煮と鶏肉のソテー(ソースは市販品)、カット野菜をつかった豚汁とご飯、納豆。
これでも、ちゃんと作った方の夕食。
年々、祖母の茶色い料理が恋しくなる。
いわゆる”母の味”
うちの母は、フルタイムで働いていたので、祖母がいつも夕食を作ってくれていました。肉じゃがやちくわの煮物や甘くほんのりしょっぱい半熟の卵焼き、春先はつくしの和え物など3~4品は食卓に並んでいました。
子どもの頃は、また野菜か。とぶつぶつ文句言いながら、料理の中でもお肉や好きな野菜など箸で選び食べていた、わたし。
学生になり、友達と交流が増えてくると、友達といる事を優先して、その場の勢いのまま外食して帰宅。食卓にラップして私の為に残してくれた夕食をちらっと見て、「ごめん!今日、夕食いらな~い」というような事が何度もありました。
今それが、どれだけ心ないことしていたのか。やっと分かります。
料理を作るって当たり前に誰もがやっている事に見えて、当たり前じゃない。
まず、献立決めて、栄養バランスも考えて、買い物に行く。買った荷物を持って帰る。野菜を洗って、皮をむく。魚の下処理をする。料理にあったサイズに包丁で切る。フライパンを出す。油をひく。と、ここで深鍋も準備して、味噌汁用のお湯を入れ、沸かす。で、またフライパン。お肉炒めて、色が変わった頃に、取り出して、火の通りの悪い順に野菜を炒める・・
そんな工程と手間がとてつもなくかかる。
夕食が完成するまで、数時間かかる。それを、家族の為に時間を割いて作ってくれてた祖母。煮物をコトコト煮込んでいる間も、”家の光”という雑誌を読んでレシピ検索してくれてたな。その背中思い出すと、胸が締め付けられる。
子どもの時、気づけなくてごめん。ありがとうと言えなくてごめん。と今は思う。
実家を離れ、一人暮らしをして毎日料理するようになってやっと気づけた。
うちの”母の味”には、作ってくれた祖母の時間や食べる人への思いやが詰まっていた。
ああ、あの茶色い料理、また食べたいな。
これがもう叶わない願いだと思うと、泣けてきた。
わたしの作る料理が子どもにとって、わが家の”母の味”になる。いつかわが子が大人になった時、また食べたいなと思ってくれる日がくるかな。