習い事はじめ
初めての習い事は『お琴』。3歳のときに赤い輪
っかの爪を手に始めたのが最初でした。
祖父が尺八をしていたこと、祖父の妹達もお琴を
していたこともあって、特段習い事をするという
感じでもなく、自然に始めました。
お琴を良く知らないという方に
少し解説しておきます。
お琴には弦が13本張られています。
曲により、調子が異なり、指示された調子に合わ
せて糸を張るための琴柱を立てて演奏をします。
張られた糸は、向かって向こう側から
「一、二、三・・・十、斗、為、巾」と呼びます。
ピアノの楽譜と異なり、この糸の名前が楽譜には
並んでいます。
洋楽をされる方が楽譜を見てメロディーが頭に浮か
ぶように、この漢字の羅列を見て、曲想を感じ取る
ことができます。
お琴は普段、糸は張られていても琴柱を立てていま
せん。理由は、琴柱を常に立てていては、弦が緩ん
でしまうからです。そのため、演奏するたびに琴柱
を立てて、調弦をする必要があります。
わたしは幼いころ、13本も弦が張られたお琴の調弦
をすることが出来ず、お稽古のたびに、祖父が調弦
してくれていました。
まず、祖父が「一」の音を尺八で出します。
わたしはその音を頼りに「一」の音がブレないよう
に音を出し合わせていきます。
「一」の音が決まれば、「五」の音が同音となる
ため、次は「一」の音をジブンで弾きながら「五」
の音がブレないように音をとっていきます。
この「一」と「五」の音が決まれば後はそれに従
って音を合わせるだけ。
とは言っても、「一」と「二」の関係はわたしの
場合、耳だけで覚えていて、順番に「一」を弾い
たり、「二」を弾いたりしながら音に狂いがない
か弾きながら音をとっていきます。
「二」が決まれば「七」はその1オクターブ上なの
で一緒に弾きながら音を合わせていきます。
理屈では五度下、四度下7、1オクターブ上・・など
とあるのですが、わたしは幼いころに始めたことも
あり、理屈ではなく、完全に耳の感覚だけで覚えて
います。
祖父は、天気が良い日には、琴と尺八の演奏をバッ
クミュージックとして流しながら松の剪定をしてい
ました。
もちろん、尺八の師匠もしていた祖父の生演奏も耳
にしていました。
このような環境にあったこともあり、曲のパターン
を耳で自然に覚えてしまったせいか、楽譜のどこを
演奏しているのかわからなくなっても、手は楽譜通
りに動いてしまうまでになっています。
とは言え、祖父は尺八の師匠であり、お琴の師匠で
はありません。わたしは隣町にいらっしゃった生田
流の宮城道夫の直弟子から学んだという先生の元に
お稽古にいっていました。
まだ3歳というコトもあり、座ってのお稽古がつらく
、なかなかお稽古がままならないわたしに、先生は
いつもお年玉や、お小遣いをくださったりしながら
お稽古を続けられるように努めてくださっていたよ
うです。
このことを、わたしは全く記憶していないのです
が、後に父親から聞かされ知りました。
当時は、年に数回開催される地区の三曲会の演奏会
に参加させていただくのと共に師匠と祖父と三人で
地元の老人ホームへの慰問演奏をしていました。
これは祖父の提案によるもの。
孫と共に演奏出来ることが嬉しかったようです。
今となっては良い想い出。
わたしは施設のおじいちゃんおばあちゃんのアイド
ルで、演奏後も引っ張りだこでした。ただ可愛いと
言われ、複雑な想いがあったことを記憶しています。
今でこそ、弦に数字なんて記されてなくても演奏す
ること出来ますが、幼いころはお琴の面に数字を書
いた紙を貼って貰い、お稽古をしていました。
そして大人になると下の画像のように対面でお稽古
をつけてもらいますが、当時は先生と同じ方向を向
いて師匠の手の動きと同じようになるように見なが
らお稽古をしていました。
これもまた懐かしい想い出。
大人になると多くの人が塗りのない白い皮で出来た
輪っかを使うけれど、子どもの頃は赤い朱塗りの爪
輪っか。
可愛いからといつも朱塗りの輪っかを使っていました。
今でも捨てずに大切にとってあります。
1月2日は習い事始め。
あなたも何か初めてみませんか。
~かおのことが気になるあなたへ~
分かりやすそうに見えて、
なにか掴みどころがないと言われるわたし。
他のnoteも手にとってみてくださいね。
そこにヒントがあるかもしれません。
大切にしてきたベースとなる考え方などお話しています。
どうぞこちらもご覧くださいね。
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