彼がどんな状態でも、わたしはわたしでしあわせであり続ける
身近なひとや、Podcastの昔からのリスナーさんには周知の事実なのだけど、我が家の夫は、3年ほど前からうつ病を患っている。
症状自体は、よくなったり、悪化したり。
いったんは寛解(病気による症状がなくなった、と判断されること。病気が全くなくなった=全快、とは言わない)と診断されたものの、仕事に乗り出した結果、また色々とあったり(ほんと神様すごいな、と思うくらい、行く道行く道、閉ざされてた。笑)、もともと、秋・冬のこの時期は調子が悪くなることもあって、いまも彼(夫)は「何かをできる」状態ではない。
わたしにとってこのnoteは、ずっと「自分の心が動いたこと」「考えたこと」を書き記す場所だった。すごく個人的な、でもだからこそ普遍的にもなりうることを、世界に放つ場所。
必然的に、家族と接して考えたことや感じたことを書くことも多かったのだけど、こと彼の病気や闘病にまつわること、ふたりの関係性、都度感じたことなどを書くのはためらわれた。自分だけの話ではないし、それによって誰かが−それは彼かもしれないし、将来これを読む子どもたちかもしれないし、彼やわたしの親かもしれない−が傷つくのは避けたかったから。
いつか、彼が本当によくなったときに書けばいいや、と思っていた。
それだったら笑い話にも、教訓にもできる、と。
でも、その「いつか」はこないかもしれない、と思うに至った。
絶望しているわけではない。闘病初期に楽天的に考えていた「彼は絶対によくなる。というか、これをきっかけに、彼はもっと自分らしく生きられるようになるし、私たち家族ももっとしあわせに暮らせるようになる」という想いがなくなったわけではないし、いまでも根底ではそう思っている。
けれど、3年という月日が経って、当初想像していたような状態、「彼の症状が完全によくなる」ときは、来ないかもしれないと思うようになった。
でも、それでもいいのだと思うようにもなった。
3年間。
わたしはこの経験から、いったい何を得たいのだろう、と考え続けた。
「ひとは何もできなくても、何もしなくてもそこにいていいんだ」と、上辺だけで思っていたことを、「それは本当?本当に本当にそう思ってる??」と、何度も何度も天に試されるような日々だった。
泣いた。
彼と別れたらラクになれるのかな、と思ったことも、もちろんある。
でもその疑問が浮かぶたび、それが答えじゃないことは自分の内でわかっていたし、泣く度に、しつこくしつこく戻ってきた。
何に?
自分に。
"わたしは、彼がどんな状態であっても、しあわせでい続ける"
"いまつらいと感じることと、わたしがしあわせであることには何の関係もない"
これまで学んできたことがわたしを守った。
心理学やその他の知識がなかったら、こんなに強く在れなかったと思う。何があっても、強がりではなく無理やりポジティブに持っていくのでもなく、素の心から「あぁ、しあわせだなぁ」と噛み締めながら眠りにつくことができる自分を、わたしはつくってきたのだ。
そんなわたしがいっそうわたし自身で在るために、他にもできることはあるだろうか?
それはやっぱり、こうして書くことだった。
何があって、どう感じたのか。何に気づいたのか。
そして見える景色がどう変わったのか。
わたしにとって書くことは、息をするのと同じことだから、書けないことがずっと苦しかったのだ。
「彼が本当によくなってから書こう」という、その「彼がよくなるの待ち」みたいな受け身の状態も、しんどかった。
なので、そろそろ、書いてみようと思っている。
少しずつ、心にたまった、自分だけの言葉を。