
メンタル不安定なひとに対して前みたいに興味や共感がなくなった
まえはわたしは、メンタルが不安定というか、メンタルになんらかの問題を抱えているひとにどうしても惹かれて寄っていく傾向があった。
わたし自身がHSPど真ん中でメンタルが山あり谷ありだから、そういうひとに共感があってつい興味を持ってしまっていた。
また、若い頃 ユングやフロイトやらの本をたくさん読んで、一時期には心理カウンセラーになりたいと思っていた、そのこともあったと思う。
でも、ここ数年でそれが変わってきた。
いまは、そういうひとにあんまり共感を抱かなくなったし、関わると、相手は不安定なので連絡なども安定せず、けっきょくこちらが消耗するから、あんまり親しく付き合いたくない、と思うようになった。
メンタルの管理は、大人になったら体調管理と全く同様にやっぱり自己責任だと思う。
そういうひとがいまそうなのは、たいていの場合 幼少期の家庭環境や親が影響してる部分が大きい。
たしかに親や育つ環境は選べないから大変だったとは思うけど。
でも、それぞれにいろいろあるんだし、ある程度の年齢以上になってからは、けっきょくそこからどうするか?はじぶんの責任だと思う。
わたし自身も複雑な家庭環境で育っただけに、むしろ余計にそう思う。
そういうひとを見てると、親がこうだったから(こうだから)しょうがない、というふうにいつまでも「思い込んでいる」というか、その影響下にいつまでも「じぶんからすすんで」居て、そこから一歩外へ踏み出して離れ出ようとしない、という印象を受ける。
それは、とりもなおさず じぶんで選んでいることであり、そのひとの選択なんだよね。
だって、人生はいつでも「じぶんで」ここから創っていけるのだから。
じぶんでそう決めて、じぶんで変わらないことを選択しているだけ。
メンタルを健康に保って良いことを呼び込んでいくのは、じぶん自身の心がけの部分も大きいと、最近とても感じる。
「努力」っていう言葉は相応しいのかどうかわからないけど、心がけというか、気持ちの持ち方というか。
ここ数年、わたしはじぶんがじぶんのやりたいことをやって じぶんで「こうありたい」と思うように生きていけるようになるために、それまではあんまり目を向けていなかった方面のことに目を向けて情報を得て勉強するようになった。
それで、上のように思うようになった。
そう思うだけに、大人でメンタル不安定なひとに、最近はあんまり共感しなくなってきたじぶんがいる。
※写真はあまり意味はないです。
先日2/15の庄内hmcカフェのマルシェに出店したときのわたしの店《Spicy Fruit》のブースです☺️🌈
