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【いちご🍓のタルト〜認知症が進む母のこと〜】

【いちごのタルト】
(ちょい深掘り記事です)

見ためハデでかわいいいちご🍓のタルトと、実質的で美味しそうやけど見ためは地味めなラフランス🍐のタルト。
フンパツしてタルトのお店で2つ買ってきて
「どっちでも好きなほうをお母さんが選んで」
って言うたら
「こっちがいい。」
と迷いなくハッキリと言って、いちご🍓のタルトを母は選んだ。

少し前までの母なら
「こっちがほしいけど、娘にも良いほうを食べさせてあげたいし、うーむ。。。🤔」
っていう「葛藤」が見えたのだけど、先日は全くそういうのは見えなくて、すぐにうれしそうに、というより一生懸命に、無心に集中して食べ始める母。

母のなかの「子供の部分」が大きくなって、どんどん無邪気になっていく。

86歳。
認知症と、足腰が弱って腰も曲がり、手押し車なしじゃ歩けないけど、内臓は健康でほかの病気はない。
だから他人はきっと
「健康で食欲もあるから良いじゃないですか」
って言うだろうし、
わたしもそれに対して通りいっぺんには
「そうですよね〜」
ってポジティブシンキングなふりで答えるだろう。

でも、
かつて数年前までは、大人どうしの、人生についての深くてしみじみした会話をときには2人ですることもあった、あの母にはもう永遠に会えなくなったのだなぁ、と思う。
シンプルに言えば、同じひとじゃなくなっていくみたいだ。
きっとそういうことを言えば、いや同じひとなのに、と言われそう、場合によってはなんかしらんおこられそうな気がするけど。

でも、そういう本音の寂しさや悲しみ、ネガティヴといえばネガティヴな思いがわたしのなかにあることも、目を逸らしたり無視したり振り払おうとしたりしないで、じぶんだけはちゃんと認めて抱きしめてやろうと思う。

今日も
「へえ、(あなたはわたしより)歳上じゃないの?」とわたしに言う母。
あなたがわたしを産んだのよ、と言うと、そのたび初めて聞くみたいな驚いたような真顔で、わたしの眼を真っ直ぐに見て「へえ〜そうなんやね⁈」と言う母。
そういうやりとりを交わすたびに、無数のかすり傷が心にできていく。

心を麻痺させる、誤魔化すのが、こういう場合はじぶんの心を守るための術(すべ)になるんだろうと思うけど。
けれど、そうやって「強くなる」ことに、ほかのあらゆることについてもいままで抗ってきたわたしではあった。
そうする代わりに、楽曲製作や文章というカタチに表現したりすることで発散・昇華するミチを探ってきた。



じぶんが認知症になるのって、子供がいれば子供にそういうメンタル面の重い経験をさせることでもあるんだなと思う。
実際面の負担だけじゃなく。
わたしは子供がいないからそれはないことだけど、子供がいなくても、配偶者などの身近なひとに対して。

母は、親は2人とも認知症にはならなかったし(その代わりにそれぞれにいろいろ事情があったけど)、離婚してるので義両親は関係ないしなので、じぶんはその経験はしていない。
いろんな人生があるな。

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