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『きみの友だち』であふれ出す泣きの感情

「いなくなっても一生忘れない友だちが、一人、いればいい」

『きみの友だち』(千羽鶴)

やられた……。
思わず泣きそうになる。

出版社が煽るキャッチコピーには、「中高生が選ぶ最泣の一冊」とあった。
大袈裟だと思っていたが、そのとおりだった。
外でこの本を読んでいたわたしは、泣きたいのをこらえるのに必死だった。

小学校に通ったことがある人は、この本を読むと思い出すのではないだろうか。
あの狭い場所がすべてだった頃の世界の話を。
そして、気がつく。
世界はなにも変わっていないことを。

『きみの友だち』(著:重松清)は2005年に新潮社から刊行された10本の短編からなる短編小説集だ。
短編同士が絶妙に繋がっている短編連作となっている。

「みんな」の輪の呪縛から、自らの意志で抜けた2人の女の子を中心に、彼女たちにほんの少しかかわったクラスメイトや、すぐそばにいる家族が、かわるがわる主人公になっていく。

この本の合言葉は「きみ」だ。

「きみの話をしよう」
「次はきみの話だ」

そうやってひとりずつ主人公になる順番がまわってくる。

他人の目や評価を気にして、窮屈に生きている大人の世界が、子どもにもある。
それはずっと変わらない。
物語の核となる2人の女の子は、「みんな」を気にしない世界にいる。

交通事故に遭って松葉杖がないと歩けなくなった11歳の「きみ」は、病弱な由香ちゃんと出会う。
わざと相手を傷つけるために言い放った意地の悪い言葉に後悔して涙する。
意地っ張りでぶっきらぼう、そんなひねくれた「きみ」は謝りたいのに謝れない。
しかし、「きみ」の友だちは純粋で、泣けるほど優しい。
治らない足は「きみ」から自由を奪ったかもしれないが、そのかわり、「みんな」の世界から解放する。

「きみ」に言われた言葉をすべて受け止める優しい由香ちゃん。
小学校1年生から3年生まで入院していた由香ちゃんにとって、友だちは退院して会わなくなるか、亡くなっていく、一過性の出会いの関係だった。
そんな由香ちゃんに病院以外の初めての友だちができた。
それが松葉杖の「きみ」だ。

「わたし、途中でいなくなっちゃうかもしれないけど、一緒にいてくれる?」

由香ちゃんにとって「きみ」の存在は、どんなに嬉しくて、かけがえのないものだったろう。
それを思うだけで心がキュッとしめつけられる。

「花いちもんめ」という子どもの遊びを知っているだろうか。
チームにわかれて、誰かを名指しして順番に取り合っていく。
人気者の順番に取られていく残酷な遊びである。
一番に名前を呼ばれると優越感があるが、逆にいつまでも呼ばれないと価値のない子のように感じ、しょんぼりしてしまうだろう。

 あの子が欲しい、あの子じゃわからん――誰が呼んだ? 誰が「由香ちゃんが欲しい」と言った? 神さま? 謝れ、神さま。ここにいたい子を連れていくな、バカ、神さま。

『きみの友だち』(花いちもんめ)

もし、「花いちもんめ」をするなら、もし、「相談しましょ、そうしましょ」をするなら、
松葉杖の「きみ」は由香ちゃんの耳元で叫んでやると言った。

由香ちゃんが欲しい!

だからお願い……。

その言葉にわたしの心の涙腺が決壊する。
乾いた心にぶわっと水分が行き渡る。
泣きそうになり、たまらず本を閉じる。

じつは『きみの友だち』は中学校の入試問題に使われた過去がある。
もし、この2人の短編が問題だったらと考えるとおそろしい。
初見が入試問題だったら、鼻をすすりながら答案用紙に向かっているかもしれない。きっと入試問題を作った人を恨むだろう。

この2人を中心にした短編以外は感動しないかというと、そうではない。
むしろ、大人が読むと、この2人以外の子どもたちのほうに感情移入するかもしれない。

顔よし、頭よし、運動神経よし、何をするにもクラスで一番で、負けたことがなかった「きみ」。
完璧だったのに、転校生に負けて初めて劣等感を味わった。
内心は腹立たしいのに、格好悪いので強がって「いいんじゃない」と少し上から言う。
負けたわけじゃない、譲っただけ……それはただの負け惜しみ。
こんなことを言いたいんじゃない気持ちがよくわかる。

クラスで一目置かれる子の親友であることが唯一の誇りだった「きみ」。
親友の座は、後からやってきた、自分よりも隣にいるのが自然な子に奪われた。
自分が大したヤツではないことは知っている。
子どもの頃からの友だちなだけで、相手は親友とは思っていないだろう。
それでも、自分がすごいわけではないのに、まるで自分が褒められているかのように自慢したくなる気持ちはわかる。
そして、自分よりも隣にいることが似合っている相手があらわれたときの寂しさも……。

引退したのに部活にやってきては威張っている、うっとうしい先輩の「きみ」。
しかも実力はなく、レギュラーだったことはない補欠の中の補欠。
もしもサッカー部に入らなければもっとうまくいっていたのではないだろうか……なんて、「たられば」をもう考えている。

「みんな」にとらわれて、自分自身をうまく表現できない、いろいろなタイプの子どもたち。
器用な子も、不器用な子も、隠した心は傷ついている。

個性を大切にしようと世間は言うけれど、ある程度は「みんな」と一緒でなければはじき出されるのは大人も子ども一緒である。
みんなの顔色と、自分のなかの自分のイメージを、いつのまにかうかがっている。

そして、最後まで読むと、きみの物語を終始、俯瞰的な視点で語っている人物の謎が解ける。

総ページ数は400ページを超えるが、きっと一気に読めるはずだ。
読み進める手はとまらない……いや、途中で泣くのを我慢してとまるかもしれない。

器用な人も、不器用な人も……何者でもない人、すべての人が主人公であることを実感させられる、泣きの1冊である。


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