文化、言語、無知による無頓知
人生半分以上の時間を「日本に住んでいなくなった」時点で、自分の頭の中の日本の考え方が、相当西洋的になっていて、それは元は「カブレ」になっていたであろう物が、確立されて自分が少し違う人間の「品種」になっている事を最近よく感じる。
西洋的と言っても色々な西洋があるが、確かに東洋とは大差があることはよく見える。言語をとっても、欧州大体どこかしら根っこがつながっていて、英語できたらイタリア語はまあ簡単に習得できると知っている。そして他の言語も相当深く繋がっている。中国語と日本語が繋がっている様に。
最近中国の文化によく触れるが、今まで気にしていなかった「無知」により置く距離という物が特に大きい、と昨日中国の人との会話で話題になった。
「イタリア」と言われれば、欧州に住む人からはなんとなくそのイメージが湧き、結構実際の文化にそこまで言うほど遠くはない(相当遠いけど)部分があるが、例えば「カザフスタン」と言われて同じようにイメージが湧くだろうか?
それと似た意味で、「中国」と言われ湧くイメージは、実際の文化を汲み取っている割合が、私たちが想像するより何十倍も低いことを、知った。
案外、日本の文化は西洋への「マーケティング」がうまいが、それは中国と比べてしまうと意外と浅いのかも、と感じた。日本だって色々ある、でもそんな度合いでなく、中国人内で完結している巨大な世界があるように見える。その大きさは人口、地理的な物もあるであろう。
それがなかなか出てこないのは、未だにcommunism である政治のためであろうか?
実際に中国の文化に少し「浸かる」と、その文化は日本よりも遥かに深い物だと強く感じた。
会議をすれば全然知らないネット中国のzoom、すごい量の世界中の情報が読める中国の情報ネットワーク、なんでも観れる最強ネットフリックス的なもの、中国人のコミュニティ、他には通訳しがたい数々の単語達の出てくる頻度が高すぎる事、全く知らない食文化、等々。そこで別に他国の人は拒んでいない。しかし、他国の人は、なぜか情報が実物より少なすぎるため敬遠、いや、ただ実際の深さをしらない為入ってこない。無頓知。
これで良いと思う。しかしこのことに気づいた為、もっと深めてみたいと思う。本物を知る為に、いつか、その生活を実際に住んで、色々なその場の空気の味を細かい所まで味わいたい。(いつやるか、又は本当にやるかは知らんけど)
ただその存在を知れただけでも、自分の中で、世界地図の大きな一つの要素、色、味が加わり、一気に世界が「濃く」なった気がした。
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