ひっそりと、息を殺して生きるのです。 気づかれない様に したら私のいた場所に綺麗な新しい蜘蛛の巣が張られて、そこに他のことがあったなど、みんなは考えもしないのです。 そして私は、誰にも見つからない暗闇の中で、みんなが動くのを、ただじっと見つめるのです。 もうみんなから忘れ去られた時に、私はひょっこり、自分の好きな場所から光にまた足を入れ、生物が作る蜘蛛の巣の一部になって戯れる、 そんなひっそりとした自分でありたい、今は。
フォルテピアノ(1835 Gerling)とピアノの違いを見てみた。 ピアノの親であるフォルテピアノという物は、同じ鍵盤楽器でも、ピアノとは、そしてそれぞれ楽器により全然違う音が、違う指の動きにより出る楽器であり、特にこの時代に作曲された曲(この楽器はシューマン)などの楽譜の向き合うとき、一度は弾いてみるべき楽器である。 ペダル、フレージングや、何を意味して書かれた音なのかの理解が、モダンピアノを弾いていても得られない物を学べる、そんな経験を与えてくれる貴重な楽器である。
音楽とは?クラシックをやっていると、それはハーモニーだったりメロディだったり拍だったり、それをどう感じるのが一番自然で美しく伝わるのか等々、(言葉では表すのが難しいけれど)、動きの感じ方を自分の物にして、(演奏家の場合はそれを)再現する。学べば学ぶほど、細かい物が見えてきて、深く深くどこまでも掘り下げる事ができる。演奏を学ぶ事は、人生を学ぶ事と同じだと自分は思っている。 私はクラシック嫌いであった。しかし先生に一つの事を極めてから広げなさいと言われて、そのままがんばったおさと
記憶を書き出したテキストから見えるように、私が自分の書いた音楽を自分で弾くというプロセスの中で、はっきりと、演奏家、そして作曲家と自分の中で役割が分かれていた: 演奏家の自分は、自分の作曲した曲をまるで他人のもののように扱っている。 逆に作曲家の自分は、演奏家のことを常に考えながら、実際に演奏される楽器ので、自分の頭の中にあるアイディアをどう実現させるか、それをどのように楽譜と言う決まった形式の上に書き出すかに集中している。 音楽が作曲家から演奏家にバトンタッチされる時、演
果てしなく言葉が頭の中を、ぐるぐる永遠にまわる。 それを退けたら、音楽も、永遠にぐるぐるまわる。 静寂をくれ。 静寂に戻ろうとすると昔から変わらない、一つ変わらないアレが見えた。必要なのか、否か。 否だ。 自分に必要なものは、自分の中に備わっている
なんとな〜く書いてみようと思う。 自分にプレッシャーをかけすぎて、昨晩から廃人化していて、たったさっきなんとか家から出て食事(スーパーのサラダだけど)ができて、今、心をほぐすためにカフェに来た。 のんびりしたバックグラウンド音楽を聞きながら、やはり心の栄養はとても大事だなあと思った。 食べ物も、飲み物も、心がこもってるから食べたい、飲みたいと思う。それ自体に心がなくても、一緒に食べる人であったり、その様な心が私に食べたいという想いを掻き立てる。 新人のバリスタがすごく頑張
人生半分以上の時間を「日本に住んでいなくなった」時点で、自分の頭の中の日本の考え方が、相当西洋的になっていて、それは元は「カブレ」になっていたであろう物が、確立されて自分が少し違う人間の「品種」になっている事を最近よく感じる。 西洋的と言っても色々な西洋があるが、確かに東洋とは大差があることはよく見える。言語をとっても、欧州大体どこかしら根っこがつながっていて、英語できたらイタリア語はまあ簡単に習得できると知っている。そして他の言語も相当深く繋がっている。中国語と日本語が繋
無性に何か描きたくなった。 何かは全く知らない。けど何かを書きたい。 自分の心をパッと明るくする様な、何か。 他人にあっと言わせるなにか。 明るくするだけでなく、何か普段考え無い事を考え出させる様な、そんな何か。 なんだろうこの感情。 あ。 人に讃えられたいのかも 人に自分が生きてていいのだと、言ってもらいたいのかも つまり 私はここでいてもいいのだと、このいつものようにかすり傷だらけの胸に、優しい軟水をかけてほしいだけかな
私の親は、権力がありすぎる。 根っからの資本主義100パーセントで、ビジネスマン、経営者であり、私はいつも色々な場で『〜の娘』と認識される。いや、そうとしか認識されない。 私にも、自分自身がある。父さんの付属品ではない。 私にも、考えがあり、まだ短いものの人生経験があり、苦労し、勉強し、いろいろとやってきたのだ。 最近、私はとある団体で活動を始めた。 無給で、日曜日の朝3時から昼過ぎまで(時差の関係で。日本時間では朝10時からなので大丈夫..)ミーティングや仕事を、無給と
ピアノはじめて、ちょうど10年。 2013年5月19日の記事に17歳の自分は、はじめてピアノの話を書いていた。 本質は、当時から今まで全く変わっていなかった。目的地は、当時からずっと同じ。 しかしそこへ向かう道は本当に計り知れない周り道と、時間がかかり、この10年でやっと、その道をただ歩く事に楽しみを感じれる様になった。 長く、しかし確実に自分を成長させてくれた。 当時の記事はまるで六歳の違う人が書いたかと思うほど、周りへの価値観がちがった。 このように音楽とは歳と共に
自分。人。人間。 私たち一人一人は、前提、いつも、無限の選択肢に囲まれている。 自分自身の癖と言えばいいのか、怠惰さといえばいいのか、それにより無限の選択肢が数個の選択肢に縛られる。 もう一つ縁と言うものがある。 仏教の教えの通り、縁と業力の重なりあいこそが結果に繋がる選択肢を生む。縁とは、ただ人と人が会う、と言うだけではなく、それは「ある考え」であったり、それを考えるに至った、散歩に誘った「友達の行動」であったり、たまたま見た「ある動画」であったり。 人々の縁になりたい
私は何という人だろう。 自分の欲求に素直に人の気持ちを下敷きにする。 孤立させないと、大事な人達が危ない。 なんでここまで、わかってることまで絶対にダメだと分かってるのに、行っては行けない方向へ進む? 欲求よ、うせろ。 静かに消えてくれ もう人を、自分を、分かってるのに傷付けるようなことするのはうんざりだよ いっそ本当に、すっと跡形もなく消えれればいいのに、人々の記憶からも、全てから。 あれ、よくこう思った時へのいい返事があったのに。今に限って思い出せない。
なまぬるい。 空の濁った色が 体温が 揃って冬眠から覚めたように、 のこのこと街行く人々のその歩き方が 適当に置いてある重なり合う、 自転車たちの横から見た雑然さが なまぬるくて 思わず左に首を少し傾けて顔をしかめた。 この街には自分。 囲まれているようで、誰も 鬱陶しさをただで引き受けるような人はいない 自分と 重なりあうような、孤立したような 意味の ないような、あるような 人間達と自分。 そんな孤立した、 そのなまぬるさが 心地よく心地わるく、実際若干
詩的な物だけのアカウントにしておきたかったのだが、あまりにも書き残したい事があるので今全てをかけて勉強しているクラシック音楽について話す。 現代になり、昔のように同じ理論をベースに演奏家が即興をしながら書き残したいものを作曲という形で書き落とす風潮は少なくなり、曲のスタイルも作曲者それぞれ全く違う様になった。静寂を4分32秒測り、それが現代的作曲としての大作であったり、譜面が絵であったりなど、色々な作品がある中、ピアノ曲として一見昔と同じ方針で書かれる数々の作品がまだ日に日
道ゆく先に 小さな淡い青 周りを囲むのは、黄ばんだ様々な雲 哀れなようで、清々しいようで それまた左に左に 重い空を押し退けるように 変わってゆく 濡れた地面と右の濡れた雲が 今にでも涙を流しそうな。 風を切り抜けながら全力で前に進む弾圧が 気持ち良いような。 表情が満ち乱れたその街の今は 私の心を灯す その右の暗い雲は侵入するように覆い その白い雲のその小さな筆の入れ方は困惑を現すようで その枝のその一方に全員が傾くのは苦労の重さで その重さが空を、止める事なく、
心の平穏てなんだろう 揺さぶられすぎると、平穏が恋しく、 なにも揺さぶられる事がないと、揺さぶられたくなったり。 疲れた心 痛すぎると、あんまり痛すぎると 心が片頭痛になって、暗い部屋で、明かりのない場所で、ただ座って、 時なんて何のことかよくわからないけど、ただ「それ」が過ぎると何かが変わることを反射的に信じ込むように ただじっとし …ながら