多様性と性自認を考える
https://twitter.com/fifi_egypt/status/1656298962155085824?s=46&t=nQj5iZ7QpbvqXvzs4Q3MVA
最近トレンドになってる「多様性」と「性自認」というワードに対して思うことをコラムとして、3つカルチャーを比較して検討してみる。
①ヒッピー
②性自認
③宗教
一見なんの関係もないこれら3つは、全て世界的なトレンドになったビックカルチャーとしての顔がある。
①ヒッピー
社会生活や文明の発達に対するカウンターカルチャーとして
「人間はもっと自然に帰るべきだ」
という主張。
法律なんてものに縛られず文明を捨てるからこそマリファナも吸うしいろんな人とセックスもしまくるし、服なんか着ないしという方向で育ったカルチャー。
②性自認
「体は男性だけど心は女性なので女性としての社会活動を認めるべき」
という主張。
でもそれが認められたら、肉体は男性なので女性競技のスコアを総舐めするかもしれない。
「性自認が女性です」という主張を盾に悪事を働くやつが出てくるかもしれない。
③宗教
神を信仰し、前世、今世、来世のいずれか、または全てでの幸福を得ようという主張。または生活規範。
全世界で同時多発的に発展し、民衆の精神的支柱となってきた。
これら3つのビックカルチャーを踏まえて、
法律とハウスルールの2つを以下のように定義して考える。
・法律:社会生活を守る
・ハウスルール:とある組織の安全性を保つ
どんなカルチャーも、前提として「社会生活を守れるかどうか」という視点でジャッジされる。
つまり法律を犯さないかどうかということである。
ヒッピーの主張を認めると社会生活を守ることが困難になる。だから市民権を得ることができなかった。
性自認についてもこの主張を認めると社会生活を守れなくなる危険性がある。
宗教についても伝統的な宗派じゃない限り、新興宗教については「社会生活を守れるかどうか」厳しい目で見られる。(一方で伝統的な宗派は、当時の社会情勢(不況、不作、流行病など)から、民衆の精神への貢献度が高かったため市民権を得ているように思う。)
ヒッピーブームをみると、世に出てきた新しい主張が社会生活を壊すか壊さないかの判断をするのに10年くらいの年月がかかる。法整備もすぐには整わない。
多様性は意見を発表する自由。
それはいろんな意見を世に発信するという意味では価値のあることだと思う。
その一方で、
「私の主義にはこういう権利があるから社会は認めるべき」
という運動とは別の視点だと考える。
意見を発表する自由はあっても、その主張に正当性があり、主張通りの権利があるかどうかは慎重に検討すべきだ。
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