
自分を表現することについて。
なんか素がみえないんよな。
そう言われることがある。最初から胸の内を全てさらけ出せるほど、わたしは強くない。だから当然といえば当然なんだけど。
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最近の自分のテーマは、心のようわからんもやもやを言語化すること。
信じるかは別にして、占い的にもこの日生まれのわたしは、じっくり心の扉を開いていくタイプらしい。とすれば今のこの挑戦は結構自分の殻を破るようなことで、頑張っているんじゃないかとも思う。
「ことば」は好き。
悩んだときに救われたことも、逆に応援したいときには手紙に綴って贈ることもある。ことばの影響力は実感するし、敏感なほうやと思う。
けど、「ことば」を使って自分のなかを表現しようとしたとき、なんで自分が出てこない(伝わらない)んやろう。
友達のSNSをみていたりして、これひとつかも、と思ったのは、「毒をはく」ということについて。毒をはく、は語弊があるかもしれへんけど、「自分の負をさらす」というような感覚のことを言いたい。
こうやって文章を書くときは、大抵、何かすごく幸せやワクワクを感じたときか、逆にすごく落ち込んで傷ついたときが多い。プラスにしろマイナスにしろ、感情を中に留めることができないとき。
誰かに見られるであろう文を書くとき、そのままそういう感情に正直に表現したいと思うけど、特に負のケースではあんまりうまくいっていない。中途半端やなと思った。
マイナスなことばかり目にしたいという人はいないと思うし、読んでいて心地よいものではないはず。小中学時代の人間関係から「八方美人にはならない」と学んだ教訓があるから、誰かに見てもらいたい、という気持ちはあまりないと思っているけど、とはいえ、こういう投稿を公開設定にしているという時点で、どこかで人の目を気にしているのは確実なところ。やから、マイナスなテーマで文を書いているときには、負→正、陰→陽になるようなことを無意識に意識している気がした。なんだか心のぐちゃぐちゃとした、綺麗ではないようないろんな感情を、結局、波風立てないようなキレイゴトに落とし込む...
そういう節があるから、「なんか素が見えない」と言われるんやろうか。リアルな、熱(それがプラスであれマイナス色であれ)がこもったことばにならへんのやろうか。
そんなことを考えた。
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やからどうする、ということははっきり分からんのやけど、ストレートに自分を表現してみて、それで離れていく友人ばかりじゃないはず、ということを信じたい。信じてもいいんじゃないか、と思えてきている。
人が大好きやけど人と関わることを怖いと感じている私が、まわりに対して自分をことばで表現しようとしている。
ことばにならないモヤモヤを言語化する、という最近のテーマは、実は「対自分」の挑戦ではなくて、人との関わり方や自分のことを相手に伝えるような、「対人」という裏テーマがあるのかも。
できるか分からない。
が、書くことばに闇が深そうに見えても、伝え方を手探りしている状態なんやなと思って、あたたかく接してもらえれば嬉しいし、変わらずそばにいてくれれば本当に幸せやし、そうやって関わり続けてくれているみんなが私は大好きだ、ということを分かっていてほしい。
何が言いたいんだか。笑
文章を書くって難しいや。
2018.11.12