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挫折

こんにちは。
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エピソード②
父親がその時に現れたのです。
そして、何も悪びれた様子も一切なくです。

祖母も、そして私も唖然としたというか、そこで父親へ対する不信感はより募りました。
都会大阪という場所に飲まれて挫折して帰ってきたのでしょう。
帰ってきてからも、荒れた生活は続いていました。
仕事もせず、大量の酒を喰らう毎日。祖母も呆れ果て、家の中で一人孤立しているような状態でした。
居心地が悪かったのでしょう。仕事をはじめ、一人で住める家を探し始めたのです。
幸いにもお酒で暴れたり、暴力を振るうことはなかったのが救いでした。

私を家に置き、そしてまたいつも通りの生活が始まりました。
その時に、祖母は精神的に年齢的にも限界が近づいていたのです。

今まで元気だった祖母が入院を余儀なくされたのです。
そして、私は父親と住むことになりました。
祖母の家とそう離れてもいなく、近くのボロアパート。
1Kの木造、風呂なしのアパート、トイレは汲み取り式のものでした。
私が現在32歳なので、27~28年前だったでしょうか。
幸いにも通っている保育園の目の前のアパートだったので、行きも帰りも自分ひとりで行ける距離でした。
当時、自分は保育園は天国だと思っていたので、より近い距離になるのはとても喜ばしいことでした。

今でいう『鍵っ子』というものでしょうか?
父親は、職を転々としながらも仕事をしていて帰ってくるのは、大体夜の20:00頃。帰ってきてからは晩酌をして寝るだけなので、特に話をすることもなかったのを覚えています。
たまに、近所の酒屋でキリンのビールを2本瓶でツケで買って来いという今では考えられないお遣いもありましたね。
昔はいけたんですよね、酒もたばこも小さくても親のお遣いなら。
今では考えられませんよね。まだマイルドセブンが200円を切っていた時代です。この記事を書きながら、少し懐かしくなりました(笑)

そんなことはさて置いて…
そういった日々が過ぎていく中で大きな事件が勃発するのです。

冬のある日、いつものように帰って家も寒かったのでストーブを付けようと思ったのです。
あの昔ながらの、ストーブの上にやかんを置くパターンのやつです。あれです。
あのストーブに火をつけるのって子どもならかなり難しいんですよね。
マッチを手に取り、火をつけたのは良いんですが、どうやってストーブに火を点けて良いのか分からず、火の点いたマッチを持って悩んでいたんです。その時に、マッチの火は上に向かってくるんですよね。熱くて思わず投げ捨ててしまったんですが、その時に新聞に火が燃え移ってしまいました。
子どもながらにパニックに陥ってしまって、煌々と燃え行く新聞紙を見て立ちすくんでしまいました。
もうどうして良いのかすらも分からないので。乾燥した冬っていうのもあって、火は瞬く間に燃え移るんですよね。
水を掛けようとも、何をしてもびくともしませんでした。
命の危険を感じたので、とりあえず外に逃げ、目の前にあった保育園に逃げ込み、先生に報告して消防車が4台出動すると言う大騒動になってしまいました。悪気はなかったのですが、とりあえず悪いことをしたという認識はあったので、ウソ泣きをしてその場をやり過ごした記憶があります。
結果、アパートは全焼しましたが、幸いにもケガ人は出ず、ちょうど取り壊しの決まっていたアパートだったみたいで、保険でどうにかしたのか、お金のことは大人の話で終わっていました。
慌てて帰ってきた父親に安全靴で頭を蹴られ、殴られ、ひどく怒られました。その時に、警察デビューをしたのも覚えています。両手、両足の指紋から、全角度での写真を撮影されました。
いわゆる、放火みたいなもんですからね…。

住む家もなくなり、着の身着のまま、祖母の家に転がり込んだことを今でも覚えています。
保育園で開催予定だったチャリティーマーケットの商品は全て我が家に届くことになり、助けて頂きました。
その時に本当に人の暖かさ・優しさに触れることができました。
続く…

続きはまた明日です。
少しでも多くの人に読んで頂けますと幸いです。

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