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「村上隆 もののけ 京都」展~京都市京セラ美術館

8月某日、京都で3つの展覧会をはしごしてきました。

▼まず、「日本の巨大ロボット群像」展で日本のロボットアニメの歴史を知り、

▼つぎに、京都国際マンガミュージアムに行き、日本の漫画文化の広さ・厚さに感銘を受け、

そして、最後に訪れたのが「村上隆 もののけ 京都」展です。

この日に見た展覧会は、図らずもなにか日本の現代文化を辿っているようでした。

「マンガばかり読んでいたらバカになる」と言われ、下位文化とされていたマンガ(とアニメ)が時代を経てサブカルチャーのメインストリームを形成されるようになると、それを研究対象とする京都国際マンガミュージアムが設立されるまでになりました。

一方、村上隆は、このマンガとアートの懸け橋となって、マンガ(を含めた日本のポップカルチャー)を世界の現代アートの中心(前衛?)へと押し上げようとしています。

村上隆のアーティストとして強みは、誰もが一目見て「あ、村上隆の作品だ」と分かるブランド力と、それに説得力を持たせる技術力、そして自分の芸術を語り伝える言葉の力を持っているということだと思います。

スーパーフラットというコンセプトを作り出し、それを宣言として明確に言語化したのは西洋美術に対抗する上でとても強い武器になっています。

私がオランダという西洋文化の中で暮らしていて思うのは、言葉で語れることが日本より重要視されているということです。なので、素晴らしい作品だったとしても、作家がその作品のコンセプトや制作背景について語れなければ見向きもされないこともあります。また、人気の作家ほど語る言葉や書かれた文章が説得力を持っていることは往々にしてあります。

展覧会入口に立つ《阿形》《吽形》

一気に村上ワールドに引き込まれる入口。祝祭的な雰囲気に満ちています。

壁紙

かわいくて思わず撮ってしまう壁紙。

 《洛中洛外図 岩佐又兵衛 rip》

村上隆が描き起こした、岩佐又兵衛の《洛中洛外図》に、おなじみのモティーフが描き込まれている。ちょっとウォーリーをさがせみたいで、鑑賞者がモティーフを探すために積極的に見ていて展覧会の導入としてよかったです。

風神がふーとはいた息の上に小さくクルクルっと竜巻が起こっているのがいい。風神と松の木をつないでいます。

《村上隆版 祇園祭礼図》

塀によじ登るDOBくん。ピンク色の雲に型押しの上に千切り箔が施されていて、フラットな画面に凹凸がでておもしろい。

《風神図》

今回、もっとも気に入った作品の《風神図》と《雷神図》。このゆるさが現代ぽくていい。

風神は風を吹いているというよりも口笛を吹いているようだし、

《雷神図》

雷神は雷の音ではちゃめちゃなライブしているような感じ。どちらも下界の人間に気にせず、自分のことに没頭しているような印象を受けます。

全体は俵屋宗達の《風神雷神図》を下地としていますが、風神雷神の足元の雲が黒からカラフルな村上カラーになっていて、《雷神図》の左の雲は北斎の浪を思い起こさせる形になっています。

《尾形光琳の花》

西洋人が好きそうなジャパニーズな作品だなと思いました。

花を描いた花卉画は時代も世代も問わず好まれているし、フラワーも隠れているし、1本(2本?)の茎から色とりどりの花が咲いていて現代において重要視されている多様性についても語れる作品となっています。

絵画からそのまま飛び出してきたような立体たち。

《ズザザザザザ レインボー》
《パンダの「方法序説」》

展示作品のなかには、村上隆の言葉が書かれているものがあってそれを読むのも楽しかったです。展覧会の内容や、作品の完成が展覧会に間に合わなかった言い訳を言葉を尽くして語っているものもありました。展覧会の鑑賞者に向けてメッセージを書くことは現存しているアーティストだからこそできるアクションなので、とてもスリリングに感じました。

《お花の親子》

この大きな金色の《お花の親子》を見たとき、京都にいることも手伝って金閣寺や極楽浄土に導く阿弥陀如来を連想しました。

もし、この《お花の親子》が阿弥陀如来だったとしたら、背後の美しい山々の向こうに極楽浄土が広がっているはずなんですけど、そこに行くにはなんとなく莫大なお布施が払わないといけないような気がします…(笑)


村上隆 もののけ 京都
2024年2月3日~9月1日
京都市京セラ美術館


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ミイル、オランダ在住のアート好き
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