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書く習慣は、思考する習慣へ

5日間働いて、2日休む。平日と休日で過ごし方がきっぱりと分かれた、会社員らしい生活を再開して5か月が経った。

3年ほどフリーランスとして自分次第なスケジュールの中で過ごしてきたせいで、久しぶりに会社員に戻ったときは「土日って、けっこうたっぷり時間があるなあ」と思っていた。こまごま、不規則に休んでいたフリーランス時代とは違い、毎週きっちりと与えられる二日間の休日に対して戸惑った時期もあった。

さすがに5か月が経ち「土日休み」にも、慣れてきたように思う。同時に、休むモードの土日に文章を書くエネルギーを確保する難しさも、感じ始めている。

何か書きたいとは思いつつ、なかなかできない。いつもほんのり「書くこと」が頭の片隅にあるのに、行動にうつせないまま休日が終わっていく。そんな自分にもどかしさを感じながら、日曜の夜を終えることも少なくない。

だけど、そうやってnoteで文章を実際に書く機会が少なくなったとしても、私の中に変わらず残り続けている習慣があることに、最近気がついた。

それは仕事からの帰り道と、お風呂に入っているときにいつもやってしまうこと。考え事をしがちなこの時間、私はいつも頭の中で無意識に、「文章を書くように」思考してしまう。

具体的に説明すると、帰り道とお風呂では、なにかを考えていると、自然と書く前提の型で文章がならんでいく。結論にたどり着いたら、書き出しやタイトルまで考えようとしてしまう。

この癖は、noteを始めてすぐの時期、1年間毎日更新をしていた頃についたのだと思う。道を歩いているとき、お風呂に入っているときは「今日は何をどんなふうに書こうか」と、考えるにはうってつけの時間だった。

この癖は、毎日更新をやめてから数年経ち、生活も大きく変わった今でも変わらない。書く習慣とは少し疎遠になったけれど、そこから思いがけず培われた「思考する習慣」は、私のなかにずっと残り続けている。

書いて形に残そうというつもりはなくとも、文章を書くときと同じ型で思考していくと、起こったことやそれに伴う感情や考えが自然と整理されていく。なにより一番のメリットは、自分が書くときにいつも「前向きに結ぶ」を意識してきたおかげで、ポジティブな結論にたどり着きやすいところにある。

ふと確認してみたら、私は2021年からこれまで700本以上の記事を書いてきたらしい。めちゃくちゃ簡単に言えば「note脳」になったのだと思う。そんなに書いてきたなら、まあそうなるかと納得できた。

今はなんとなく、書き始めるハードルも、発信するハードルも、以前より少し高くなっている。仕事では書いているとはいえ、ずっと個人的に続けてきた書く習慣とのつながりが途切れかけているようで、焦燥感も感じることもあった。

でも、私にとっての書く習慣は、そこから生まれた思考する習慣に活かされている。書き続けてきたことによって得たものは、簡単に消えるわけではないんだと気づいてからは、今の状況も前向きに捉えられるようになった。

そして今、考えたことを文章にまとめて形にできたことに、喜びもしっかりと感じる。やっぱり思考して終わるよりも、書いて形にするところまでたどり着けたときのほうが、ずっと気持ちがいいなと思う。

下書きもたくさんあるので、この気持ちを思い出しながら、エネルギーのあるときに少しずつ形にしていきたい。今日は、いい気持ちで休日を終えられる気がする。

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Saaya|ライター
最後まで読んでいただきありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。いただきましたサポートは、自己研鑽やライター活動費として使用させていただきます。

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