カッコいいという幻想
たまたま𝕏 を見ていたときに、ある方が英語で短めの言葉を交わしている映像が流れてきた。
私は、もうめちゃくちゃ日本の有名人とやらに疎くなっているんだけど多分有名人なんだと思う。
割と多い人がその投稿に反応していたからね。
「英語ができてカッコいい!」
言葉はちょっとずつ違うんだけど、そんな感じのニュアンスのものが嫌でも目に入ってきた。
カッコいいとはどういう意味なんだろうか?
私は英語が問題なく使えるけど、自分をカッコいいとか思ったことはない。
なぜ英語が使えるだけでカッコいいのか?
私にはこの感覚はさっぱり理解できないんだ。
多くの人が、カッコいいという幻想に踊らされている。
私がずっと言い続けたいことの一つでもある。
じゃあ人はどういう時に、カッコいいと思うのだろうか?
その定義って簡単に出来るだろうか……
実際に、それは結構曖昧なことなんだ
基準が人によって大きくブレる。
カッコいいの定義や法則って決められない
人によるんだ。
この事からも、英語できるのがカッコいいなんていうのは結構曖昧なものであると言える。
ある人にとっては、それが日本語であるかもしれないし中国語であるかもしれない。また別の人にとっては、イタリア語やフランス語かもしれない。あげだすとキリがない。
そう考えると、全ての言語をカッコいいと思う人は存在するはずなんだ。
その逆で、どれも別にカッコいいと思わない人もいていい。
ものすごく曖昧なものが
“カッコいい” である。
言い換えれば、“幻想”である。
最近、大谷翔平選手が話題だ。
彼をカッコいいと言う人がいるのはなぜか?
大谷選手に簡単になれると思っていたら、憧れないからそんなに熱狂的に見ない。
別に彼が全て完璧な人間な訳ではないと冷静に判断できていたとしよう。
彼の日々の試合や行動や言動を見て、身近にいる人と同じようにフラットに見れるはずである。
崇拝は決してしないんだ。
大きな壁が自分と彼の間にあると思っているからこそ、のめり込む人がいる。
憧れている時点で、越えられない。
彼が言ったようにそれが事実だ。
憧れはカッコいいという感情にも変わるものだ
英語に話を戻すと、英語できる人をカッコいいなんて言って観察している人は、その時点で身につかないと自己紹介しているんだ。
どこか他人事の証拠になる。
人を見て憧れる前にいくらでもやる事はある。
それをこなしていたら、感情的になってる暇さえあんまりないはずなんだよね本来は。
カッコいいばかり言ってる人は、ある意味他人ばかり見てる証拠なのよ。
他人に酔っている分、自分のことに取り組んでいない。
英語がカッコいいという人は、どうしてそう思うのか?
日本語を喋っている人を見ているだけで、
わー!カッコいい!!
とならないのは何故なんだろう。
カッコいいの全てが幻覚である。
とっても曖昧で基準や法則さえない。
断言しよう。
全ての言語に優劣はない。
そう目覚めない限りは、言葉なんて使えるようにはならない。
英語が特別カッコいいなんていう幻想に囚われてはいけないのだ。
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