知ることの価値
学習とは、知ることの価値を分かる事でもある。
英語学習も全くその例外ではない。
使いこなすための英語を習得しようとすれば、当然その背景知識がいると何度も私はここで書いている。
単語や表現をただ覚えこむだけだったらどうだろう。英語を学ぶ過程で得られる価値が抜け落ちてしまっているのではないだろうか…
それにはさほど意味はないはずだ。
科目としての「英語」の点数を上げるために教えている人は、褒めてくれるだろう。
それで気分が良くなるかもしれないが、それだけなのだ。
後から暗記したものを使えるように努力すれば、その時間浪費が活かされる可能性はあるが、点数だけ追い求めたらそれで終わりである。
かなり薄っぺらい。
英語を使えるという価値は、外国人と話せる事だけだろうか?
もしも言語を暗記しただけで中身なしの薄っぺらいままだったら、中身なしの薄っぺらい人としか会話など成り立たない。
時間浪費した分だけの価値ってあるのという話だ
それ以外の人でも話してくれるかもしれないが、ただ形式で接してくれるだけだろう。外国人だって、本音と建前はあるのだから。
英語圏であれば、英語が母国語なんだからかなり低レベルの害悪しかない人でさえも英語は話す。
どういう層が、どういう英語をどんな時にどんな風に使うのか解像度が低ければ、英語を話せる事が嬉しいと思い、無闇矢鱈に話していたら危ないだけだと私は強く思う。
それは、私が外国人と接してきた経験からだ。
アジア人は英語圏の人間ではないと知っているから、騙そうと利用しようと近づく人間が多くいたからだ。
英語を話すことが、カッコいいなんていう思想は馬鹿げているのですぐに辞めるべき。危なっかしいだけ。
英語を使えるようになることは、結果コミュニケーションを取れるようになるだけではなく、知ることの価値が高まることを意味するし、そちらの価値をもっと重要視する人が増えた方が良い。
最初は拙くても構わない。
遠回りに感じるかもしれない。
コツコツと継続することだ。
まさか数ヶ月や数年で完璧に使えるそんな訳はなく、継続するための仕組みを作る方が先。
それは大変に感じるかもしれないが、英語を真に学ぶ事にはそれだけの価値がある。
これは受験や資格勉強のみの暗記とは違う。
これがちゃんと理解できないと、使えるようにはならないはずだ。
自分と異なる思想、環境、文化。
それだけじゃない。
英語を使えるように学ぶ事は、思いもよらなかった知識を仕入れ、新たな知見のヒントになる素晴らしいこと。
自分の可能性を見つけることができるかもしれないし、前もって危機を回避できるかもしれない。
こういう事は本当は言いたくないのだが、弱い立場に立ってしまった為の不利な役回りを避けやすくなる。
バカにされ難いので、詐欺のカモにもされ難い。
それに加えて、舐め腐っている人を黙らされる効果も高い。
英語を操る人間の内、優秀なもの以外は、日本人は英語を話せないと心からバカにしているからだ。
実際にそいつらが、低脳で足し算引き算もできず、計算機さえ器用に使えず、会話のネタはは薬物とセックスだけしかないみたいな層でさえ上から目線になる。英語が出来るだけで優越感を抱く程度のバカだからだ。
同じレベルに決して下がるべきではない。
言語に優劣はない。
知ることの価値は、意味不明にバカにされないことにもつながる。それと似た事だが、英語を使えるように学ぶ事は、悪いものから搾取されない事にも繋がる。
それだけではない、新たな知見を広げる素晴らしいことだ。これは生涯の楽しい娯楽にも繋がる
これほど武器になり、
楽しみに繋がる事なんてない!
暗記だけの、ガリ勉試験脳から抜け出すべきだ!
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