『マトリックスリザレクションズ』について
私は最初に『マトリックス』が公開された時、劇場に観に行きました。そしてこのシリーズは、好きな映画の中の一つです。Netflixで4作目が観れるようになってると知り、時間を見つけて3部作復習して、『マトリックスリザレクションズ』を観ました。
さて、『The Matrix Resurrections』は、どんな意味かといえば、Matrix はここではコンピュータのインターフェースを動かすのに重要な数の列からできた集合体。簡単に言えば、この映画での主要人物と仮想世界をつなぐための大切なエッセンスたるもの。
そして、Resurrectionは復活という意味です。けれど、これはキリスト教としての宗教観である“復活”の意でしょう。
仮想現実では、その中で死んでもまた蘇るんです。本部に登録すれば、何体でも作れますよという話。AさんにもBさんにも、Cさんにも…なれてしまう。そして何かの事情あり、Aが消されたり自分から辞めたとしても(死んだとしても)別のものとして登録できます。
簡単に言えば、なんらかの審査が行われて、良しとされればログインできますよね。
科学技術は宗教だ。
そういう人はいます。なぜなら、分からない事を突破するには仮説を立て検証していく必要があるからです。仮説は仮説なので真実かは分からない。信じる心が必要な場合もある。
コンピュータも同じでしょう。開発過程で100%完璧ではない。新しいシステムなら当然な事実なんです。バグが生じ、エラーが出る当たり前です。それを無視すると人はどうなるのでしょうか?
分からない事は多いのです。
それを無視しようとすれば、危険です。
現代に生きる私達はこれを忘れてはいけません。
マトリックスは3部作で完結しているともとれます。この4部作目はリブート(再起動)との見方もできる。
主人公ネオが、新たなゲーム内で新しいマトリックスを作り上げた。現実世界でね。
ただ、創作しているのはトーマス自身です。その事実は消えない。
彼は人であり、感情があります。
AIであっても結局は「人」が関わるわけです。何体も作れたって再起動出来たってそれは事実でしょう。
それを忘れると人はどうなるのか?
正直、取るに足りないどうでもいい事でしょう。。
AI優位とする事は、感情を置き去りにする事に通じないだろうか?
人間たる事を忘れ、科学技術に支配されたらどうなるのでしょうか。。
それは碌でもない世界です。
トーマスが「マトリックス」にこだわるのは、「ネオ」に心が通っているからに他ならない。
それを証拠に、「ネオ」の「トリニティ」における想いは変わらないわけです。
「マトリックス」でないとダメで、それは「トーマス」と「ティファニー」が実在するからでしょう。
機械に支配された瞬間。それは、主人公である私たちは人である必要はないのです。なんの動物でもいい。いや、生命体である必要さえないかもしれない。。
天国に行くか地獄に行くか、その審判をただの数の集合体であるコンピュータというものに支配されてはいけないんです。
ネオは、戦い続け中間点を彷徨っていればそれでいいわけです。
現実が伴わなければ、仮想現実はどうでもいい場所で、まあそうなるはずなどないだろう。。
そうなったとしたら、脆く破壊されるものだろう。。
この映画は、そんな話だと思いました。
仮想現実にハマりすぎたら碌でもない。だから、『マトリックスリザレクションズ』なんて高く評価してはいけないんです。この出鱈目な映像体験はそんな意味で最高なんです!だからこそ惹かれるわけです!
マトリックス節が効いたいい映画。仮想現実と現実をゴッチャにした映像も健在だし、アクションもいい!おすすめできます!
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