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嫌いよりも干渉しない

よく海外は同調圧力がないとか空気を読まなくて良いとか言う人がいます。そして、そういう話を聞いてそうだと思っている人もいます。
けれど、それは全く違ってどんな場所でもそういう空気感はあるんです。種類が違うだけで…。

そうなんだけど、敢えて空気を読むか読まないかをそれぞれ選び自分の立場を明確にしているというのが正しい。

多民族が住む国では、それぞれ文化的背景が異なる人々が暮らしています。
自分と似たような考えをしている人は、とても少ないと思ってちょうどいい。最初から期待なんてすべきでない。

だから、自分と考えが違うとか行動が違うとかその程度でいちいち嫌な気分になっているようでは、ストレスがかかり過ぎて大変です。
それが理由と思いますが、多民族が共生して住む国ではひとりひとりが、他人と自分との境界線を引くのがとても上手いんです。

簡単に言えば、干渉しないということ。

どちらかと言えば、自分に集中し他人の内部にそんなに踏み込まない人が多いです。
そのため、自分と違おうが嫌いで不快に思わない人は多い。

ある意味、ドライな訳です。ていうか、そんなに他人の事を考えません。そんな考えても外れることが多いので意味ない事が多いので。

「いやいや、フレンドリーに雑談とかして誰とでも話してるじゃないか!」

という人がいるかもしれない。

けど、それは社会的に緊張感なく暮らすための工夫と捉えた方が良い。あとは、人によっては、単に喋るのが好きなだけ…。

誰も、プライベートを邪魔しようと思ってる訳じゃありません。日本人は勘違いしてる人も多いけど、ただの生活の知恵として身につけた習慣なだけ。

そういう他人に干渉しないという環境はある意味スッキリとしています。個人主義ということなので。

日本でいちいち、いろいろ個人的なことに指示されて疲れるなあと思ってる人は、だからこそ海外にいると楽に感じる人がいるのではと…。
自分で色んな考えを持っている人が割と海外で楽と感じるのはこのためでしょう。

しかし、裏を返せば他人に興味なく下手に足を踏み入れない人ばかりという事は、存在感を示さなければ気づいてさえもらえない事と同様になります。

あれ?そんな人いたっけレベルです。

完全に無視されてしまいます。

個人主義であるが故に主張が必要になります。
そのため、意見をうるさく言う人が多いんです。そうやって自分がどこで存在できるか探してると言ってもいい。

こういうベースがあるので、自分を大切にしなければやっていけません。
そうなっている時に、自分の領域に勝手に足を踏み入れてくる人がいれば違和感を感じますよね。存在感の否定だからです。
だから、よく意味の分からないことには抵抗する意思を示す人が多いんです。

でも、まあ社会的な空気を読まなきゃいけない環境はあるから従う場合もあるんだけど、それはあくまで自分の意思と反していると理解している人が多い。

社会のために仕方なくと、自分の気持ちを分けている人もいるということなんです。

個人主義で多民族が暮らしている国では、みんなバラバラに細かい集団が固まりがちです。
ここで、自分と同じ意見の話だけ聞こうと思っているとバラバラな集団が出来上がり結束が悪い。

そういう人達ばかりだと、国としてはしばしばまとめる必要があるので、法律がとても厳しくなってきます。オーストラリアもそうでした。

1番いいのは、適度に干渉せず、自分の気持ちと意見。そして全体の方針と相手の意見を分けて考えるという癖が必要になってきます。

だから教育で、自分自身の気持ちと意見をちゃんと考えさせる。そして、敢えて自分の気持ちと違う意見を言わせたり逆の立場に立たせてみたりをするんです。相手の立場に立たせる練習でしょう。

だからこそ、伸びる集団はこういう思考ができている人が多い。これはすごい強みなので、みんなが見習うべき点かと思います。

そんな場所でも、自分と違うから違和感あって嫌いに感じる。逆の考えだから否定したい。単純な感情だとそう考えがちです。海外でもそういう人はいる。

とても狭いコミュニティで暮らしています。逆にそういう場所しか暮らせません。ストレスが多すぎて…。

しかし、それで良いのかもしれません。それが幸せなら…それは自由なので。嫌いになるものばかりなら避けてればいいのでね。

けれど、もしその狭い考えの集団が誤った選択をとった場合どうなるでしょうか?

これはとても難しい選択肢です。

なるべく生き残りたいなら、多様な選択肢を残しておくのが生物的には正しい。

みんなで同じ方向を向かないと、干渉される同調圧力は怖いことと思います。

「嫌いよりも干渉しない」

その姿勢を持つ人に私は沢山会ってきて、生きる知恵だと思いました。あとは、ひとりひとりが自由に生きるための方法と思いました。

自分が押し付けられたくなければ、人にも押し付けたらいけない訳です。

自分は自由でいたいのに、人はダメなんて成り立たないでしょう。

多様な人と楽に関わり共存する方法と思います。

そういう観点から、「嫌いよりも干渉しない」はとても良い方法論です。

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