素晴らしい通訳者
私は西オーストラリア州に住んでいる時に、医療機関にかかりリハビリをしなければいけなくなった経験をしました。
英語が第2外国語の場合は、必ず母国語の通訳をつけなければいけないと、そのリハビリを行う組織は決めているとの事で、現地の翻訳兼通訳会社から通訳さんを連れてきたんです。
その方は、とても素晴らしい通訳者であり英語話者でした。オーストラリアに住んでいる日系人です。
英語を使ったコミュニケーションは完璧でどう見ても不足ないように見えた。
けど、まだ日々学んでいるというのがよく分かりました。
とても謙虚に自分が分からない単語を、相手に尋ねちゃんと理解してから噛み砕いて伝えようという姿勢。とてもプロフェッショナルでした。
今でも覚えているのが、分野ごとにノートを作りアルファベット順に整理していると仰っていた。
実際に、大きなバッグは膨れ上がっていて何冊も入っていた。
私が「努力されてるんですね。すごいなあ」と思わず言った時、彼女が言ったことを私はよく覚えています。
「これは当たり前と思ってやってるんですよ。使わないと言葉なんて忘れるから。私、色んな業界に顔を出してて、その度に新しい言葉を知るんです。けど、また他の場所に行ったらいつ使うか分からないし、その間に忘れる可能性が高い。その時のために、前もって準備してるんです。」
そして、「これでお金もらってるんだから、こうやってなきゃ逆に申し訳ない。」
とも…
プロフェッショナルであり、人格者でした。
そして、言葉のことコミュニケーションのことをよく理解している。
私にも凄く気遣いしてくれて、当時本当に疲れていた心がほぐれました。
限られた言葉を知ってるだけで偉い気になったり、狭い業界や世界を少し知っただけで全てを知ってるような勘違いをしている人を見つけるたびに彼女のプロフェッショナルな姿勢を思い出します。
私は当時、同じ仲間であるはずの日本人から何の説明もなしに命令に従うようにと言わんばかりに酷い言葉を投げかけられ傷ついた。
身体が上手く動かないのにもっと頑張るようにとばかり言われ急かされた。そのせいで、疲労が激しく回復も遅れました。オーストラリアの関係者の中には、そういう日本人のアドバイスに驚いていて温かく励ましてくれた人もいました。
そうなるのも当然とプロからも言われています。コロナの騒ぎがあって、当時を思い出し色々調べたくなった。結論は、いかに変な扱いだったかも改めて理解しました。
その当時、私は日本人なのに日本人不審であり不信になりずっと避けたいとさえ思っていた。異国の地で…。それは、自分の身体が大事だからです。
心から悲しくて自然と涙が出ました。どうしてこんなに冷たい人ばかりなんだろうと…
だって真に寄り添ってくれたのは、中国人をはじめとするアジア系オーストラリア人や移民、そしてオーストラリア人しかいなかった。
日本人が完全に嫌いになりそうでした。それくらい酷い人が多すぎたんです。
(中には少数良い方もいましたが…。宝石の原石を探し当てたような気分になるくらいには希少な存在でした……)
自分の都合で相手を動かそうとする人が大半で組織側につき、いざとなれば弱っている人に暴言まで吐く。私は所詮宇宙人だから仕方ないかと言い聞かせていました。
私は日本の中でも幼少期から、割と辛い経験をしてきて乗り越えた部類なので暴言にも耐えられたけど、それでなかったらどうなってたか分かりません。
そんな時に、私なんてただの顧客にも関わらず優しい言葉をかけてくれたのがこの素晴らしい翻訳者の方なんです。
私はこういう海外で暮らす素晴らしい日系人がいるのも見えていなかったんだなと深く反省しました。現地企業に入っていて、日本のコミュニティーと遠いところにいる為か、素敵なのに存在が薄いんです。
気づかないうちに、狭いところしか見えなくなっていた。余裕がなくて…
私はこういう経験をしてから、必ず自分に空白を持たせることを心がけるようになった。
大切なものを見逃さないようにです。
がむしゃらになり過ぎると、見えないものが必ずあり認識を歪めるからです。
ひとつ言えることは、優秀であればあるほど人を決めつけずに相手の立場に立てるということ
そして、自分を客観的に見てずっと誰からでも学び吸収しようとするんです。
これは、語学を使いこなす上でもそうだけど全てに当てはまることではないでしょうか。
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