事実と感情と意見。
普段から事実と感情と意見をしっかり分けて、言葉を使い分けている人はどれだけいるでしょうか?
日本では、英語圏に比べて意外とふわっとした状態でごちゃ混ぜにして使っている人が多い傾向です。
なので、そのままでは英語圏ではあらぬ誤解を招きやすい。
これは事実を示しているのであれば、
“事実なのに断定しないから知識がなく自信がないのか?” とか、
“その事実を言うのがまずいのか?”
とか変に勘繰られるきっかけを生みます。
感情であれば、
“何を考えてるのかよく分からない人だなあ”
とか、
“この人は自分の感情さえよく分かってないのか……。”
“ちょっと問題ある人なのかも”
みたいに思われるリスクさえあります。
その一方で意見を表明している際に、事実と感情を意見のようにしてしまうと、
“あの人は意見がない人だから誤魔化しているのかな。”
“何も考えていない人なのかな。”
“論理的に物を捉えられない頭が悪い人かな”
とか碌なことを思われません。
だから、何も考えずふわっとした状態で事実と感情と意見を混ぜてしまうのは避けるようにした方が良いです。
少し簡単な例を挙げてみます。
「犯罪」について喋っている事にします。
まずは事実。
盗みは悪い事で犯罪になっていますね。
なので、「盗みは犯罪で悪いことです。」と単に断定するはず。
けれど、ここで「盗みは犯罪なので、悪いことと思います。」と言ったとする。
すると、“えっ!実際は悪いことと思っていないの!?” “それはなぜ?”と思われやすいです。
だから、明確な理由がないと怪しまれます。
次に、感情。
「盗みは犯罪で悪いことと感じます。」
とするとこの話題の事件は、世の中的にはそう思われていないんだけど、この話してる人はそんな風に感情で思っているんだなという話になる。その逆だと、“は?こいつ何言ってんの?!”となったり、もっと言ってしまうと、“だから何?笑”みたいに思われて軽くスルーとかもありそう。
話し合いや意見交換で感じるを使って言うのはすごい弱い。
そして、意見。
「盗みは犯罪で悪い事と思います。」
こういうと、
“何言ってんだろう。当たり前なことを思うとか言って…。”
“もしかして、こいつ盗みは良いと思ってるのかな?どういう根拠なんだ??”
となりやすい。
この、事実と感情と意見をハッキリ分けて考え言葉を使い分けていれば、
「盗みは犯罪で悪いことです。」
「盗みは犯罪で悪いことと感じます。」
「盗みは犯罪で悪い事と思います。」
は全て違う意味になる。
最初の、断定形で事実を述べる以外はかなり説明がいるはずなんです。
言葉の使い方が本来なら違っているのが理由なので……
けれども、日本では全てなんとなく同じようにふわっとした感覚で捉える人が英語圏より多いので全て混ぜて違和感なく使っている人がいます。
ふわっとした観念のまま英語にすると、英語圏の人はかなりの違和感を抱くでしょう。言語の捉え方に大きなズレが出ている。
事実と感情と意見をハッキリ分けて捉えることは、思考の整理にもコミュニケーションについて考えるにも良いですし、英語を使う時にも役立ちます。