機械翻訳を信じすぎる危険
現代は、AIによる機械翻訳技術がとてもすすみました。
私自身、オーストラリアという海外で暮らし多国籍同士が会話する時にスマホに入ったアプリなんかで会話して遊んだ経験もあります。
それは、とても楽しいですね。
言葉がちゃんと理解できないのではないかと不安感や恐怖心を抱いたり、恥ずかしがったりして話しかけないよりは現代のテクノロジーを使ってでもしてコミュニケーションした方が良いです。
目の前にある心理的な壁を払うのには、とても優れてるなぁと思った記憶があります。だから、私は恐れずに言葉が出てこなければ全く声を出さないよりはテクノロジーを使うべきと考えている。
ただ、機械翻訳は完璧ではない。
それは、理解すべき。
もちろん、未来にはかなりの精度のものが出来ると思うし人口は減少するのでその技術に対しては応援すべき、そう思います。
しかし、今現在の翻訳精度を見ると疑問視せざる終えないレベルのものも多く、到底近い未来に実現するだろうか?と思う事が多い訳です。
問題は、そもそも英語力(聞き取り能力、読解能力)がそれなりになければ機械翻訳が正確かどうか判別できない事です。
なんとなく訳しきれていると思い込んでしまう。
「なんとなく」ほど怖いものはない…
要は、間違っていたり変な訳をしていたり文脈を組んでいなくても、良い訳と感じてしまう。
単語を直訳だけする訳も目立ちます。
その背景は組んでいない。。
ただ、これも英語は英語で理解できる頭でなければ誤魔化されてしまう危険性と隣り合わせでしょう。
AI筆頭とする機械翻訳を信じすぎる危険はいつもある訳です。
もしかしたら、人が行う通訳や翻訳でもそれは起こり得てしまうんです。
例えば、相手の言っていることを正しく伝えたくない、もしくは悪意持って歪めたいと訳す人が伝えるメディアが思っていれば出来てしまうわけなんです。
私は、残念ながらそういうおかしな訳を目撃した事は数回ではありません。自分で英語を使えないという事は、与えられた媒体が間違っていてもわからない。そして、悪い人間がいればいくらでも操作されてしまうという事です。
自分で、英語が使えるという事はそれだけで、そういうリスクを減らす事ができる。そして、騙される可能性を減らす事ができる。
あなたはあなたで、変えが効きません。あなたの脳みそに直接電極でも繋ぎ、電気信号を適切に感情によって分け、言葉を発するときにそれを反映したものを選び出せばなるべく正確に英語を伝えることは可能かもしれません。
ただし、あなたの生きてきた人生。
身体のメカニズムなど全て機械が捉えきれるのか。。
それができなければ、AIはあなたではない。
感情を全てコピーする事にはとてつもない壁があると思われます。
そして、それができてしまったら言葉以前にあなたはいりますか?替えがきくでしょう。。
なんて妄想もできてしまう。
自分の力で伝える。気持ちをのせる。
テクノロジーが進んでいる時代においてもそれがなくなる事はないでしょう。そして消えてはいけない部分です。
人が人自身を操作できると考える。それほど傲慢な事はないでしょう。
技術が進むからいいやと手放していい部分と悪い部分はある。人と繋がる言語の部分まで、手放せば弊害は必ずある。
伝える気持ちを手放すからです。
美術館などで、同時通訳機を使って解説を聞いたりした事ありますか?そちらに気を取られているのと、直接伝えようとして話している人の言葉を肉声でそのまま聞くのとでは全く同じではないです。
空気感を同時に共有することは無意味ではない。肌感覚の部分は、軽視できない。
映画でも、俳優の声をそのまま聞くのと吹き替えで全く声が代わっているのでは時間差があるし人が違うので同じではないです。
俳優の人生、熱や感情が同じなはずはない。
他人なんですから。。
生がどうしても反映されない。そういう事です。
英語をそのまま使えて理解できる事はそれだけの価値なので、日本にいる人が少しでも多くそういう人になって欲しい。
機械や便利なものに頼る事はいい事ですが、そこにある危険は忘れてはいけないそう思います。
英語においても同じこと。
自立し、自分の気持ちをのせ伝える。大切な人間としての部分。
また、正確な情報を得て人に騙されず操作されないようにするためのツールです。
便利さを信じすぎるのは時として危険なんですよ
便利さを追求し過ぎて、大切なものを忘れると、あなた自身がロボットとしての奴隷になる。そういう事です。
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