音を感じること
今日は、音について書きたいと思う。
音を感じているだろうか?
音は波動で振動である。
それが物理的に伝わり感じることができる。
言語を勉強して聞いている時は、何を言ってるか意味を取りたいと思い聞くことが多いだろう。
なので、つい感じることを忘れがちになる事は起こり得る。必死になりすぎてしまうことは起こり得る。
意味をとりたくて必死で聞く。
あれ?知らない単語がある?
え?この文法なんだっけ?
細かい部分が気になる。
それは悪いことではないし、知識を深くし引き出しを増やすには良いことだ。英語を話したり使ったりするのに選び抜く言葉が多ければ素敵だ。
けれども、音を感じることを忘れるくらいなら一度細部に拘ることを意識的に手放すことで手に入るものもある。
これは何語であろうと同じ。
言語には、それ特有の波がある。
「ぼーっと聞いていて意味が分からなきゃ、時間を費やす意味がない。」
そういう人はいるけど、それは本当にそうなんだろうか?
あなたはラジオが好きだろうか?
なんとなく声が心地よいとか聞き取りやすいとかいう人がいる。
もうそうなってくれば話している内容は関係ない。その波動が振動が心地よいとかそういうレベルだ。
それはなぜなのか?
言っている内容じゃなくて突き詰めてみて欲しい
自然の中に身を置いたことはあるか?
いろいろな音がする。
「無」になる瞬間があっても感覚は動いている。
それは、理屈とかを手放す瞬間になる。
英語にも日本語にも、独特の波がある。
けれども、理屈ばかりを重視していると波を感じることができなくなる。
何を言うかばかり重視する。
表現や単語を選び抜くそのことに気を取られる。
波はどこへ行ったのか?
音を感じることを忘れたのか?
日本語でも感情が薄ければ、それだけ抑揚が少なくなる。音の上がり下がりは緩やかかもしれないが、必ずや揺れてるから音になっている。
それを英語でも感じる必要がある。
音を伝える必要があるし感じる必要もある。
それを軽視していることは、人本来の自然を手放していること。
一切、意味は分からなくても良い。
どんな音か、よく聞いてみて欲しい。
そして感じてみることをたまには試してみることだ。それぞれの違った出方を味わってみる。それが拒絶なくできるかどうか。
それが上手くなっていき、そこに知識が加われば全体から意味を上手に取れるようになる。
文脈や空気感を捉えることが可能になる。
知識ばかりで感情を捨てたら、言葉なんて上手く使えない。音の伝わり方も非常に重要な要素だ。
英語を必死で勉強している人は、どんな音かどうかの全体を把握するために一度全て手放し音を感じる努力もしてみて欲しい。
たまにはそれが無意識で出来るようになれば最高な状態。おそらくは、英語の音に慣れれば慣れるほどそれができるようになっていくはずに思う。
息を抜いて音そのものを聞くのも良いことで、無駄ではない。それをちょっと言っておきたいと思い音について書きました。