テクノロジーが脳を互換してくれている
ほんと、今のテクノロジーに感謝しています。
スマホとか、パソコンに対して。
こんな気分を自分が味わうとは思ってなかったです。
“テクノロジーが脳を互換してくれている”
という感覚。
日本で生まれ育ち、日本語で生活すれば全く日本語を忘れないと思っていた。
海外在住歴が長い日本人の中で、私に漢字でどう書くか聞いてくる人がいると、なんかの冗談かなと思った時代もあった。
けど、今ではとても状況がわかる。
もし、今の時代にスマホやPCがなかったら私はこうやって文章を書くことはできないだろう。
とても基本的な漢字を自分の手で書くのに戸惑いを感じるし、忘れた漢字も多い。
と、いうかちょっと違うかな…オーストラリア在住中も、日本語の本とか読んではいたので、読む事もどれが正しいとかも分かるけど、スラスラと手書きできないというのが正しい。
帰国して、1年くらい経って、ようやく自分の名前とか実家の住所くらいは違和感なく書けるようになったけど…。
最初は緊張状態で大変だった。パースでもたまに行く領事館で書き間違えしたり、書く前に一瞬戸惑ったりしていた。
何が言いたいかといえば、結局、人間はやらないと忘れる生き物という事。
ネーティブの言語でも、こうなんだから。
日本在住時には、違和感なく書けた日本語での漢字や文字が、9年以上は書く機会がほとんどなかった事で、スラスラと書くことに戸惑いを感じ頭が固まるようになった。
今でも、手書きだと英語の方がスラスラ文章が出てくるしとても早くなっている。
しかし、スマホやPCに向かっていると、日本語での文字が出てきて私が瞬時に出力できない部分を互換してくれるんだ。
とても不思議な事。自分でペンを持ち紙に書くのには一苦労の癖に、この毎日更新しているnoteの記事はあっという間に完成する。
そういえば、パースで大学通っていた時に、先生方が何回も繰り返し、課題をこなした後には、“ワードで校正をかけスペル間違いのチェックをするように”指導していた。
「今の人達は、テクノロジーの進歩で文字書かないから、スペルをちゃんとタイピングできていない人が多い。確実にするためにコンピュータに任せてチェックしてもらうのは必須だよ」と…。
ノートもとらない人がほとんどで、PCで打ち込む人がとても多かった。
私はかさばるから、PCを大学に持って行きたくないから、どうしてもの時以外は、持ち運んでいないし、メモ程度しかしないので手書きしていたけど、なんかそういう人もオーストラリア人は少ない感じだった。
手書きする機会ないから書くのが大変だし、スペル間違えもする。そういう事。
英語、日本語関係なく手書きしないと、出来なくなってくるんだなと…
でもそんな状態でも、私は楽に日本語で生活できている。話せるし、読めれるし、聞き取れる。
テクノロジーが脳を互換し、自分が思い浮かべた文字を画面に映し出している。
英語のスペルを間違えないように、努力して大量に暗記しなくても、英語を使いこなして生活する事は可能だ。
日本語でもそれは可能だというのが、私の実体験から証明されている。
資格試験や学校の英語のテストでは、スペル間違いが減点される。しかし、それで英語で生活できないと決めつける事ができる訳ではない。
それは国語でも同じ。テストでは大事だけど、日常は違う。
完璧に手書きできなくても、使って私達は生活できている。
それに、普段手書きでバリバリ漢字が書けるとしたって、100%いつも間違えずに正しい漢字を手書きできる人って、いないと思います。
調べたり、変換したりして足りない部分を補ってもらっているんですよね。
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