豪州での若者を取り巻くSNS環境。
オーストラリアで、16歳未満のSNS禁止法案が可決したらしい。ここのnoteは、英語に関しての記事を書いている場所だから細かい法案の中身は触れない。しかし、オーストラリアでの若者を取り巻くSNS環境について書こうと思う。
こういう生活環境について興味を持つこともまた、コミュニケーションに役立つからだ。
もちろん、法案については数々の矛盾点もあり賛否両論とは思う。それは若い子も同じだろう。私もなんか変な法案の中身だなとは思うのだけど…それはひとまず置いておく。
さあ、話を戻そう。
オーストラリアを含めた西洋圏の人々は、日本のネット民からはおそらく想像もつかないほど、ネット疲れしているのが現状で、それは16歳未満も同様な傾向であろうと思える。そんな話だ。
例えば、定期的に開かれるアートイベントなんかでは、スマートフォンの害から離れてみようという体験型現代アートは注目を集めていた。
雑談でも、幅広い層でデジタルデトックスしたい(一定期間、外部から連絡が来る電子機器から離れたい)みたいな話をする人は、探さなくても見つかる。現に出かける時は、家にスマートフォンを置いておく宣言をする人も珍しくはなく、そんな人も周囲から一定の共感を得ていた記憶。
いつもデジタル機器を持ちたくない。読み物は必ず紙でなくては嫌だ。そんな人は日本にいる時よりは確実に多い感覚だ。若い読書家の子、私が通っていた大学にもいたけれど、Kindleのような電子デバイスよりも紙派の方が目立った。
こういうデジタルから離れたいという雰囲気は、どうして起きるのだろうか?それは、オーストラリアのデジタル化が日本より進んでいるという裏返しで起きているとも言える。長い付き合いなので、その分負の面が分かるようになってきたとも言える。物事には必ず良い部分もあるが悪い部分もあるから当然なことだろう。
日本に住んでいる人も、デジタル機器を使うことで起こる良い面と悪い面からどうやって身近な機器を使うのか考えるのは今後に活かす点で、大変良いと思う。
まず第一に、人は全員高レベルな知能を持ち合わせているわけではない。なので当然、理性的に自分で上手くネット環境を使える人ばかりではない。全員、道徳心を持ち合わせているわけでもない。
気づけば、ネット空間があることによって自分の行動を制限され、気づいたら操作され、心理的そして身体的に悪影響を及ぼされてしまう人はいなくならないのだ。
インターネットは、とても便利で明るい未来を運んでくる可能性もあるのだが、悪い使い方をすれば一種の兵器になってしまう。
特筆すべきは、当然、人生経験が少ない人の方が悪い面に引っ張られる危険性は高くなる。大人であっても、インターネットのせいで心理的そして身体的に悪影響がある場合があるのだから当たり前だ。
NetflixのTVシリーズ、『13 Reasons Why』はそんな理由からとてもヒットした。身近な問題なのだ。ネットを使ったイジメは凄まじく精神を病んだり挙げ句の果てには、自殺者まで出ている。興味がある人は、鑑賞してみてほしい。
それに加え、インターネットには中毒性がある。いとも簡単に検索でき、コミュニケーション出来るような錯覚が起き、自分で考える時間を奪っていく。思考力や創造力が落ちてしまうという危険性を指摘する人は跡を経たない。大人になるまでに、そのような部分が育たなければ……と考えれば良いことではないだろう。
実際に、目の前にいるのにアプリを通さなければコミュニケーションが取れない人。
また、人の都合や感情を無視し、自分本位に24時間ネチネチとメッセージを送り続け、すぐに返信がないと大騒ぎする異常者も現れる。
スマートフォンに接続しないと、自分なりの思考がなく、それ以外の思考は異常と決めつけてくる破綻者も実際にいる。
まともに人の機能を携えまだ衰えていない人にとって、そういう人らは、ただの心理的負担に繋がり精神が参る因子となる。残念ながらそういう人が学校の中にも、ウヨウヨいる。
え?なんかこれおかしくね?と思う人も出てくるわなと……
私はそんな様子を目撃してきたので、身をもって便利なデジタル機器も自分で利用し、決して利用されてはいけないと真剣に思うようになった。
デジタル機器が生み出したモンスターを目の当たりにすればそんな気持ちを抱いてしまう。
健全に育ってきて理性が一定レベルであるオーストラリアの若者の大部分は、SNS規制は歓迎なのではないかと思うばかりだ。
せっかく便利なデジタル機器、上手く使っていきたいですね!