何者でもない自分で愛されるには
最近気づいたことがあって
高校時代からの親友
ボイスチャットで何時間も喋り続けられる友達
この人たちには
私が何者かなんて一切関係ないよなぁ
と
社会の中で生きていると
必ず問われるのが「あなたは何者か?」
父、母、夫、妻
上司、先輩、先生、生徒
経営者、インフルエンサー
アーティスト、アイドル
これらは人生の中で自分が選んだり、
自然発生する単なる「役割」なんだけど
そこに自分が理想とする
「形容詞」をつけたくなるよね
優しい母
気が利く妻
頼れる上司
素敵な先輩
さらには何かを為し得ないといけない
社会的地位を得ないといけない
突出したものを身に付けないといけない
なんて思って
そうなりたくて頑張って
なのになかなかなれなくて
人と比べては劣等感に苛まれたり
何もない自分には価値がないとまで思ったり
その気持ちの根底にあるのって
そうならないと愛されない
好きになってもらえない
なんだと思う
ただ、この概念って辛いよね
自分のままで愛されたいと心で思ってるのに
条件付きで愛してもらおうと行動してる
心と行動が一致してないから
どんなに願ってもなかなか叶わない
この概念は私の中にもしっかり根をはってて
結構邪魔してくるんです
それって本当にそうなの?
今まで出会った人みんなそうなの?
優しくて気が利いて何かをしてあげないと
愛されないの?
それってなんかイヤだし
この概念は手放したい!と思ったとき
冒頭の気づきに出会いました
親友達とは高校からの付き合いだけど
私が留学したとか
社会人になっていくら稼いでいるかとか
役職がついてるかとか
なんて社会的ステータスはどうでもいい
結婚してるか、子供がいるかとか
人生の変化とともに会う回数とかは変わって
多少の波風はあったとしても
関係性は何ら変わらず
ずっといてくれる人
そんな親友のどこが好きなの?と聞かれたら
「彼女だからじゃないかな」
そう答えると思う
良いところも面倒くさいところも
何もかも全部引っくるめても
結局好き
してくれたことももらったものも
たくさんあったけど
それがあるから好きなだけじゃなく
彼女の存在そのものが私にとって大切
そんな風に思うんです
きっと向こうもそうなんじゃないかな
(そうであって欲しい)
だからね、何者でなくても
ちゃんと愛してくれてる人は
誰にだっているんです
近すぎて当たり前すぎて見えてないだけ
「いる」と分かったら
愛されるために何者かになる必要なんてない
もうすでに愛されているから
そんな自分を愛したらいい
そうするうちに
そんな人に囲まれて生きていけるから
「私のどんなところが好きなの?」
「あなただから好きなんです」
はぁぁぁ☺️
想像しただけで安心感に包まれる言葉です
どんな褒め言葉より
パートナーに言われたい言葉
No.1はこれだなぁ🤭