儀式の意味
今日はおじいちゃんの四十九日。
緊急事態宣言とテストが重なり異例のzoom参加だったけれど、お坊さんは画面越しでも優しかった。
小さな頃から毎月お経を読みにくるお坊さんが大好きで、おじいちゃんと一緒に(今は読まれる側になってしまったけれど)正座してお経を聞いていた。独特のリズムがおかしくって、訳も分からないのに祖父母が真剣に祈っているのもおかしくって、笑わないように堪えてた。
終わったらお坊さんとお菓子を食べて、線香の匂いのするリビングで宿題をする。あぁ、これはもう15年も前のことなのだ。
その15年の間に私の体は大きくなり、おじいちゃんはどんどん小さくなった。守ってくれていた存在が頼りなく変わり果てることに恐怖を覚えたけれど、向けてくれる愛の大きさは変わらなかった。「美里のためなら〜どっこいしょ〜」そう調子良く歌いながら、ベッドの上でテレビを見ていた(いや何もしないんかい)。
今でも覚えている夢がある。おじいちゃんがキラキラした星の道を上へ上へと歩く。私は泣きながらそれを見ている。次の日起きて、ばあちゃんと勢いよくケンカするじいちゃんを見て、全然まだ大丈夫だ、とほっとした。
それが現実になった今も、私はまあまあ元気だ。亡くなって3日間くらいはそれはもううちひしがれていたけれど、今もちょっと泣きながら書いているけれど。でも寂しくて悲しくないのは、じいちゃんが幸せな人生を送ったとみんなが思っているからだと思う。
仕事せずに遊んでばっかりで、しっかりもののおばあちゃんと結婚して、娘も孫もずっと側にいて、最後はお家で看取った。
象のような目と、びっくりするくらいの副耳。
癇癪もちで調子のいい、家族のことが大好きだったおじいちゃん。
きっとあちらの世界でも、可愛い看護師さんたちに声をかけてるに違いない。
あちらの世界があるのか、どんなところなのか、分からないけど大切なのは
辛く苦しくなければいいなと願う心だったり
おじいちゃんとの思い出に心を馳せたり
おじいちゃんと縁をもてたこの人生を幸せに思いながら
私が生きていくことだと思う。
お経の意味は分からなくても
静かに手を合わせ、故人を想う時間
今生きている家族の幸せを願う時間
そうね、こんな尊い時間を、じいちゃんもばあちゃんも毎月過ごしていたのね。
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