#自己紹介2 高校生〜大学生(休学前)
はじめまして!みい「(るりいととんぼ)です。
現在大学4年生を休学中して、社会を学びながらいろいろ挑戦中です。
今日は前回に引き続き自己紹介の後編!
私がこれまでどんな風に生きてきたかについてシェアさせていただければと思っております。だいぶ長くなってしまったのですが、良ければ読んでいってください!(最後書くのに力尽きました)
〜高校へ進学。得た刺激は永遠の青春〜
前の投稿でも書きましたが、私が入学した高校は
とっても個性の強い学校でした。*大好きですが、今思い返すと、すごいw
癖が強すぎるKOYAMADAI
なんとなく、お分かりいただけたでしょうか?
圧倒的、宗教感w
また「どこよりも”青春”を体感できる高校」でした。
行事と部活と勉強!この3つを、とにかく全力で、こだわってやる。
それ以外に何かやるなんて、考えつかないくらいにです。もし中学生の方がこの記事を読むことがあれば、そこでしかできない貴重な経験がいつくもあるのでお勧めします^^OBOGの財団のおかげでとても手軽に留学にも行けたりします✨
高校❶班活動のやばいメンタルトレーニング
中学でやっていたテニスを高校でも続けたくなってしまって、硬式テニス班に入班したのですが、入班の瞬間から、あれ、入るところ間違えたかな?と思いました。怖い顔で黒板の前に部長と部員が立っていて、すごい剣幕で「厳しいけど頑張って」と。
そこからは厳しい筋トレ期間が待ち受けていました。コートに入れてもらえず、3か月と少しの期間、毎日先輩に見張られながらの筋トレ。(これはずっと伝わるテニス班の伝統だそうです。)
メニューそれぞれの回数や時間が異常で、できないと連帯責任。しかも日がたつごとに回数や時間が増えていくもので、
特に「腕上げ」は、腕を肩の高さに水平に上げながら背伸びをするのですが
初めのうちは5を数えるまで。最後は25を数えるまで、約20分ほどその体制をキープしていました。正直、途中から肩の痙攣が止まらなくて痛みに耐える修行のような感じでした。腕が下がると見張っている先輩に怒られたりやり直しになったりして、連帯責任なので必死になんとか?乗り切りました。全ての種目が、痛みと限界を超える修行で、ひたすら耐える、というメンタルトレーニング。笑 また、先輩に毎日怒られました。(愛の鞭)
おかげさまで、すっかり色々と強くなって、辛いことがあってもあの時のことを思い出せば、たいてい何でも乗り越えられる気がします。
高校❷.とにかく、なんでも全力!青春!
「そこに山があるから登る」そう登山家が答えるように、「そこにやることがあるから、皆でとにかく全力でやる」高校でした。運動会はもちろん全力。その時期になると全ての行動はダッシュ。応援合戦の時は、団長団の人の動きを、この上なく”観て”、手拍子をするので動体視力と集中力増し増しです。
合唱コンも全力。毎日当たり前に自主的にブラスの人たちが曲を研究。すごい一生懸命みんなをまとめてくれます。みんなも朝練、昼休み、放課後、スーパー全力で練習。しかも期間はたったの2週間。一気に詰めるのが小山台流。当日は3学年全ての課題曲が校歌なので24回校歌を聴きますが、全てのクラスごとに色が出ていてとても面白いです。文化祭やその後の後夜祭、球技大会、百人一首大会まで全力(以下略)
運動会も合唱コンも、最後は全員で肩を組んで校歌を歌うのですが、その時の達成感とこみあげる感動はいまでもありありと思い出させます。。(洗脳済み)。あの青春は、いつまでも私の心で生き続けています。。。
高校❸.親友が留学へ
ここまで小山台への愛や思い出を語ってしまいましたが、高校生活を通じて、私が最も影響を受けたと思われる出来事はこれ。親友が一年間の留学へ行ったことです。
当時2年生の夏くらい。部活も一緒で、部活以外の時間(昼休みや放課後)もほぼずっと一緒にいた親友が、ある日突然、文科省のトビタテ留学制度に申し込み、見事選ばれてオーストラリアへ飛び立ちました。
これは私にとって衝撃の出来事でした。なぜなら、その時私には「海外へ行く」ということは全く眼中、、いえ脳内の辞書にすらに無かったからです。
当たり前に学校で授業を受け、部活をして、課題をやる。そして大好きな友達を過ごす。これが当たり前に続くと思っていたのに、親友がいなくなること、めちゃくちゃ寂しかったし、そんなことを考えていると知らなかったので少しショックでした(当時は)
そして気づきました。自分は全く社会のことを知らない。外部のことも、知らないから何がしたいとか無いしわからない。でも毎日、部活や課題に追われている。飛び出したい!
そうして、「マイプロジェクト」というNPO法人カタリバさんが主催する会に参加して、案の定ほかの意識高い高校生に触れて衝撃を受けたり、素敵な仲間に出会ったり、アルバイトを始めて外の人に触れるようになりました。
でも、とにかく学校との両立がきつかった。
だから、私は大学に入ったら、とにかくいろんなことに挑戦しよう。いっぱい飛び出してみよう。やってみよう。とにかくいろんな人に会ってみよう。そう心に決めて、高校生活を全力で駆け抜けることを決めたのでした。
〜大学へ進学。疾風の如く走った〜
そんなこんなで大学へ進学します。
大学は、もともと理系でデザインができるから。という安直な理由で建築を志望していました。そんな時に、社会学×建築系=「都市」を学べる学部がこの世にあることを知り、(自己紹介#1でも書きましたが社会を学びたいと強く思っていたので)ここだ!!!と、某国立大を目指すも受験に落ちて、絶望していたところ、たまたまそれに似た感じの他の大学の学部が受かってました。家から15分。縁しか感じなかったので、進学。と、ザッとこんな感じで無事、大学生になります。待ちに待った大学生です。
高校で誓った、たくさん挑戦する、をとにかくやりました(?)笑
高校の時に鍛えられた体力がここで大いに発揮され、意味わからないスケジュール感であらゆる事象に取り組んでみました。
大まかに言うと、留学、国際交流、旅、ボランティア、アルバイト、大学生っぽいこと(おしゃカフェやディズニー行く)、提案、地域活動、授業、合宿、、、、面白そうなものがあれば全部行く、全部全力!そんな感じで楽しく過ごしました。笑 自分でもつけたものから、友人に誘われたものまで。
楽しかったなあ。
何が一番楽しかったって、何かを知ると、知らないことが増えること。
どんどんやりたいことが増えていくあの感覚がたまりませんでした。
海外学生との関わりで得た衝撃
結論から言うと、私の大学生活で最も影響を与えたのは国際交流でした。
5カ国の学生とSDGsをテーマに自由に議論し、提案する合宿では、
他の国の学生の意識の高さに心から驚きました。社会、国、全てに関心を持って、そして自分の意見を持ち、そして自分がどう在りたいか意思を明確に持って学んでいる学生に触れて、鳥肌が立ちました。
これまでとはスケールの違う「知らない」ことを発見して、しまいました。
私はそれをきっかけに、社会を主体的な関心を持って学び、知ること。
そしてその上で、自分がどうしたいか、どう在りたいか、を考えるようになりました。とはいっても頭で考えるより、行動して感じる派なので、とにかく知識を入れつつ、いろんなところに行って、みたりしました。
そして得た結論。私は、日本の魅力や豊かさに貢献したい。
自分のデザインや、アイデア、何かを作ること、そして好奇心の高さを生かして、「新しい価値の創造」かた豊かな社会に貢献したい。と。そうして挑戦が始まりました。
これ以上書くとキリがないので、ここから先は私の勝手な思い出振り返り写真コーナーです。急に適当なトンボスタイル。
ピカピカの大学生(1年生)
きらきらの大学生(2年生)
むぎゃ〜な大学生(3年生)
あとはベトナム、マレーシア、タイ、フィリピン、韓国、中国、トルコあたりの学生とプロジェクトやったり
ていって感じの大学生(4年生)
・・・まだまだ写真は更新中です。
トンボなりに、少しでも地球に貢献できたらいいなあ
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