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「韓国語セカイを生きる 韓国語セカイで生きる」を読みました

「韓国語セカイを生きる 韓国語セカイで生きる」という本を読みました。とてもおもしろかったです。感想を書きたいのですが、12名の著者の方々によるオムニバス形式になっていてジャンルが多岐にわたっているため、全体的な感想をまとめるのは難しそうです。そこで、とりあえず、このnoteでは次の3点について書こうと思います。


1. この本を読もうと思った理由

1年前のわたしならこの本を書店で見かけても買わなかったかもしれないです。タイトルと帯を見るとプロを目指す人向けの本という感じだし、収録されている練習問題もとても難しいからです。本の中に、韓国語の授業を2年間履修したにもかかわらず가/이も結局よくわかならかったという学生さんの話が出てきましたが、1年前のわたしもそんな感じでした。へヨ体の文末「エヨ/yeyo」は이에요から이を取ればいいだけだとずっと思ってて、2年学んだ後も에요って書いてたくらいでした。

じゃあ、今回この本を買ったということは、その後1年で韓国語スキルが爆上がりしたのかというと、もちろんそうではないです。

1年前の自分と今の自分の違いといえばこれです、これ。このツイートに出会ったかどうかです。

わたしはBTSを好きになって2021年4月からラジオ講座で韓国語を学び始めましたが、2年経った頃、今後この自分の頭で学び続けても目標とする韓国語能力を手に入れることは難しいだろうなぁということに気づいてしまいました(そのへんのことはこちらのnoteにまとめてあります)。

それでも韓国語をやめるという選択肢はまったく自分の中に浮かんでこず、そのことがむしろめっちゃ不思議でした。自分のことながら、なんでだろ?と疑問で仕方なかったです。そんな時、さきほどのツイートに出会いました。これは自分が探していた答えじゃん!とハッとさせられました。

そして今回、このツイートをされた先生が、まさにこのツイートの内容について書いているということを知り「読みたい!」となりました。

2. 大河ドラマ「光る君へ」と照らし合わせて思ったこと

※この項で書くことは、史実とされているものではなく、あくまで大河ドラマというフィクション作品で見聞きした内容です。

今年の大河ドラマ「光る君へ」に出てくる外国語といえば漢文と宋語です。漢文は当時でもすでに古典なのでいったんおいておくとして、宋語についてはまさに同時代に中国で話されていた言葉です。

(1) 主人公まひろ(のちの紫式部)と宋語と逃避

まひろは京で生まれ育った貴族です。しかし、徹底した身分社会、女の地位の低さ、母の死、仲間の死、父が無職で生活が厳しかったことなどにより、楽ではない人生を過ごしてきていました。ダメ押しに雲の上の存在である上級貴族に恋してしまい、結果、大失恋を経験します。気づけば婚期を逃したアラサーになっていました(6月放送時点)。

そんなとき、父である藤原為時(ためとき)が越前へ赴任することが決まったので、まひろも一緒に行くことにしました。

そして、まひろが人生に疲れていたこのタイミングで現れたのが、宋から来た男ヂョウミンです。※イケメン。※ジェントルマン。※ちょっとミステリアス。

もともと、漢文のエキスパートである学者の父に育てられて、漢詩を読むことが得意なまひろは、一般的な女子よりは中国への関心は高かったとは思いますが、この頃には宋で行われている「科挙」に興味津々でした。前述のように、身分の差のせいで好きな人との恋は成就せず、かといって、女だから国のためにバリバリ働くという選択肢もなく、もんもんとしていた時期だったので、科挙があって実力次第で道が切り開ける国(とまひろが勝手に思っている)、宋に憧れを持つようになります。だから、ヂョウミンが宋語を教えてくれることになって以降、夢中で学びました。

きっと、単語や文法を覚えてるときは、京での大変な出来事を忘れることができたんじゃないかと思います。もしくは、勉強しながら、もし女の自分でも官職を得ることができたらこんな国にしたい、こういう政策があったらいいのに、こんな生き方がしたい、みたいなことも考えていたと思います。ただし、同時に、まひろ自身、いくら宋語をマスターしても、実際に宋に渡って科挙を受けてバリキャリになれるとは、到底思ってなかったはずです。つまり、宋語に打ち込んだのは「韓国語セカイを生きる 韓国語セカイで生きる」でいうところの「逃避」そのものだったと思います。

そして、この後、とある事件をきっかけに、まひろの宋に対する憧れは木っ端みじんに砕け散りました。熱心に書き溜めてきた宋語勉強用帳面も破って捨てました。

じゃあ、宋語を学んだまひろの日々は無駄だったのかといわれたら、決してそうではないと思います。まず、簡単な通訳ならできるくらいの宋語スキルはまひろの中に残りました。その語学力で父や父の部下を支えることができました。宋への憧れが単なる妄信的な執着だったと悟り、夢が儚く終わってしまっても、その間に自分の力として蓄えたものはなくならないです。これは本当に大事なことだと思います。

そして、まひろの心の再生です。まひろは宋の熱から覚めたあと、結婚する決心を固めました。ちょうどプロポーズされたっていうのが理由としてはめっちゃ大きいんですけど、仮に越前に行って宋に夢中になる前のまひろだったら、プロポーズを受けられたかどうかわからないと思います。まひろは越前に引っ越してから、みるみる元気になっていく様子がドラマでは描かれていたと思います。これが逃避の力だなあと思いました。

(2) 為時と宋語と外交

為時は、東宮(次の天皇になる人)の家庭教師も務めたことがあるくらいの立派な学者です。学ぶことに対してまじめで、人に対しても誠実な対応ができる人物に描かれています。ただ、ちょっとだけ柔軟性に欠けるため、世渡りはうまくない感じはあります。

そんな為時ですが、50歳くらいのとき、朝廷から国司に任命され越前へ赴任します。越前は、朝廷が貿易を許可した土地ではないのにもかかわらず宋人が勝手に渡ってきていたので、国防の観点から外交がとても重要な土地でした。

実は最初から為時が任命されたのではなく、為時の前にいったん違う人に決定してました。しかし、そいつが天皇への自己推薦文を他人に代筆してもらってたのに加えて、宋や宋語への関心もゼロだったことがバレたことから任命の話は白紙となり、代わりに宋語が得意な為時のところへ役が回ってきました。

大出世がめぐってきた為時の家では宴会を開くのですが、そこでまひろは、若き日の父が宋に憧れ過ぎて、宋に密航を企てていたことを親戚のおじさんから聞かされます。あの真面目人間の父にそんな過去があったなんて!! と、まひろのみならず、わたしたち視聴者も驚いたのですが、なんか同時にものすごく為時のことをいとおしく思った瞬間でもありました。

実際に越前に到着してみると想像以上に宋人が押し寄せていたのですが、そこで為時は、第一声、宋の言葉で彼らに直接話しかけます。宋への密航未遂から30年くらいは経ってると思うのですが、その後も、独学で宋の言葉を勉強し続けてきたことがわかるシーンでした。今のように外国語スクールも音声教材DLもない時代、細々と学び続けて、ここぞという場面で実際に通じる言葉を発することができたのはすごいことです。この姿には、これから越前守としてこの土地を治めていくのだという決意と風格がありました。

「韓国語セカイを生きる 韓国語セカイで生きる」の執筆者の中には外交官の方もいました。大変な負荷をかけて真剣に韓国語を勉強されていたことを知り、本当にすごいなと思いました。そして、人脈をつくることの重要性と、それにはその土地の言語の習得や相手を尊重する気持ちが欠かせないこともわかりました。ちょうどドラマで為時の前述のような姿を見た直後に読んだので、この外交官の方と為時の話が頭の中で交差してとても楽しく読めました。

(3) 「書物は暇だから読むものではありません」 by まひろ

これは、見かけるたびに何かを読んでいるまひろを、親戚のおじさんが「また書物を読んでる。暇なのか?」と揶揄したときのまひろの返答です。

じゃあなんで読むのかという答えは、結局このシーンでは触れられませんでしたが、個人的にはものすごく聞いてみたかったです。

だから自分で想像するしかないんですけど、今、「韓国語セカイを生きる 韓国語セカイで生きる」を読んだ後に考えてみると、まひろが忙しくても書に触れ続けるのは、この本の中に出てきたウェルビーイングと関係しているんじゃないかと思いました。

大河ドラマはちょうど折り返し地点で、これから半年続く中で、もしかしたらこれに対しての答えみたいなものも発見できるかもしれません。特に、後半ではいよいよまひろ自身が執筆活動に入るはずなので今から楽しみです。

3. 를/을 타다 について

1.で書いたように、この本で紹介される話は基本的に難しいのですが、ゆっくり読めば理解できそうなものもけっこうありました。その中で、를/을 타다についてはめっちゃ「なるほど!」と思ったことがあったので、見当違いかもしれませんが書いておきたいと思います。

わたしはむかしスキーをしていたので、를/을 타다の中で最も気になる表現は스키를 타다です。最初に聞いたラジオ講座に出てきて、その後すぐ、推しが動画の中で実際に스키를 타고 싶어ぉ~ってかわいく言ってる場面にでくわしたので覚えました。

今回の解説(150ページから)を読んで思い出したのは、スキーも昔は純粋に移動手段だったということです。わたしは雪国育ちなんですけど、さすがにわたしは経験はありませんが、祖父や父の代ではスキーで自宅から目的地まででかけることはよくあったそうです。スケートで通学していたという親戚もいます。まさに冬の間は 스키를 타고 친구집에 가요. とか 스케이트를 타고 학교에 가요. だったようです。だから 스키를 타요. 스케이트를 타요. だけしか言わないシチュエーションはあんまりないっていうのはなんとなくわかるような気がしました。(もちろん現代ではレジャーとしてスキー場内でスキーをするという意味で스키를 타요. がたくさん使われるようになってるとは思います。)

そういえば、数あるスキー競技の中、ノルディック複合の勝者だけが「キング・オブ・スキー」という称号で呼ばれるのですが、これもスキー를/에 타다することではなく、そのあとの移動こそがスキーの核心だということの表れではないかなと思います。どのスキー競技も必ず移動は伴うんですけど、ノルディック複合は全スキー競技の中でとにかく移動距離が長いです。しかも下り坂だけではなく、上り坂も崖(ジャンプ台)もある。様々な地形がある中でとにかく遠くまで早く行けたやつがすごい!王者だ!という価値基準は、스키를 타요.じゃなくて스키를 타고 가요.で完成形なのだという考えと通じるものがあるなあと思いました。

それから、もし韓国が南国で、ドバイみたいに屋内の人工スキー場でしか滑れないような国だったとしたら…? ということも考えてみました。雪がまったくなくてスキーが道を何キロも移動するための道具だった歴史がない国だったら、「レジャーとしてスキー場でスキーをする」という韓国語は스키를 타다ではなくもっと違う言葉になってたのかもなーとも思いました。

あとがき

251ページに「同じ一つのことを言うためには二人の人間が必要」という言葉が登場しました。これを読んで思い出した番組があります。

安彦氏はガンダムのキャラデザで有名ですが、ご自身でも漫画を描いています。その中にジャンヌダルクをモチーフにした作品があります。そして、この番組の中でこう言っていました。「ジャンヌダルクを主人公にしたらジャンヌダルクを描ききることはできない」というようなことです。だから、あえて時代を少しずらして、架空のヒロインを登場させ、ジャンヌの人生を追体験していく形で話が進むようにしたそうです。ヒロインが頭の中で想像のジャンヌダルクに問いかけるシーンが番組で紹介されていました。非母語を学ぶというのは、もしかして、このヒロインが頭の中に自分なりのジャンヌダルクをつくりだしたことと似ているのかもしれないなと思いました。

☆☆☆☆☆

以上、「韓国語セカイを生きる 韓国語セカイで生きる」を読んだ感想をかけ足で書きました。話がブツ切りだし、感想というよりはただ思いついたことを書いただけになってきてるし、ほかの気になったところについても書きたい気持ちはあるし、最後のほうはもっとなんか違う書き方ができないかなあと悩みましたが、推敲し始めると永遠に書き終えられなくなりそうなのでこれで仕上げることにしました。

ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。

※後から読み返しておかしいなと思うところが出てきたら修正するかもしれません。




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