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「人の期待に応える」のは意味がないかもしれない

最近自分と深く深く向き合う時期を迎えています。
コーチングしかり、ストレングスファインダーしかり。
仕事の場面でも、
いくつかのチャレンジに対して描いたような反応が
返ってこなかったり・・・ということも重なり、
立ち止まらざるを得ない。

そうしていろいろ考え、動く中で気づいたのは、
「”私に抱いているであろう他人から期待”は、
 自分が思い描いているものとズレていることが少なくない」
ということです。

かつて私は、非常に人柄面も能力面も優れた上司たちに恵まれ、
評価やミッションの設定についても
非常にオープンな会話のなされる環境にいたので、
「あなたに求めているのは○○です」
「あなたにもっと磨いてほしいのは○○です」
という、非常にわかりやすいフィードバックを得ていました。
こういう状況であれば、相手の期待もわかりやすいし、
自分の内面とのすり合わせもしやすく、
双方にズレがあればそれ認識し、調整だってできる。

けれども、そういうコミュニケーションが日常には行われない相手、
これが意外とポイント。
しかも、そういう人の方が、身の回りに圧倒的に多い。
友人、夫、親、子供。
言葉はされない相手からの期待をなんとなく感じ取りながら、
私たちは生きていて、
しかもそれは想像以上に私たちを縛り付けている
ように思えます。


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少し話は変わりますが・・・
これまで私は、
自分の仕事をできれば「広く」「大きく」「少しでも有名に」
仕上げていくのが正解だと思っていました。
そして周りがそれを求めているとも思っていました。
けれども、最近至った今の結論によると、
どうやらそこに私の幸せはないのかも・・・。

▽そこに至るまでの思考過程は、この中で語っています。

仕事が「広く」「大きく」なることはあっても、
それはあくまでも結果論であって目的ではない。
自分の好きや興味を発揮しながら、
「今いるこの場所」をもっと好きになれる、
そんな仕事をすることが私の幸せに直結する気がする―。
その気づきに突き動かされて、
これまで手を出すことはなかった「ローカル」なお仕事に
一歩を踏み出してみることにしました。
(ローカルなお仕事を軽んじたり見下したりする意味合いではなく、
 これまで自分のターゲット外だった分野が視界に入った、
 という意味です。あしからず。)

働き方や時間の使い方で家族に変化を及ぼすものでもないので、
新しい分野をスタートすることは夫にも事後報告。
私はてっきり、報酬面や地場的な仕事に携わることに、
「本当にいいの?」的な反応をされるかと思っていました。
だから、報告の時も、多少理論武装していた感が。

ところが、「いいじゃんいいじゃん」と、拍子抜けするほどの賛同が。
「面白そうだし、志向に合ってるんじゃない?」と。

あれれ?夫は私が想像していたような期待を抱いていなかったのか!

「期待に応える」ことで伸びる瞬間もあるし、
それが相手や自分の喜びになることもある。
けれどもそれは、
あくまでも「相手の期待」を正しく認識できているのが前提。
そもそも「他人から自分への期待」を
「”きっと”こう思っている”はず”」
「こうしてほしいと考えているん”だろうなぁ”・・・」としか
語れないのだとしたら・・・
それは自分自身の「妄想」
であり、
「相手からの期待」とは限らないんだなぁ。

あなたが応えようとしているのは、
本当に「大事な誰かからの期待」なのでしょうか?
試しに、徹底的に自分優先で決めてみる。
そしてそれを伝えてみたら・・・
意外と簡単に「いいね!」と言ってもらえるかも、しれませんよ^^



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矢島 美穂|本の言うことを聞くライター
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