見出し画像

わたしをもう一度好きになりたい

2018年から4年、私は駐妻としてアメリカWA州シアトルに4年暮らした。

駐妻あるあるとは思うけれど、例に漏れず、私もアイデンティティクライシスに陥った。それをちゃんと自覚し、なんとなく認めたのが約1年前。駐妻生活4年目の春。

2022年3月に本帰国した今、この1年でフラフラと彷徨いながらも何かしら変われた気がするし、でもそれを一切記録に残していないことで全部なかったことになってしまうのが怖くて、時系列はバラバラになりそうだけど、これまで恐れていた「アウトプット」をしてみようと思う。

3月からコーチングを受けている。
大きなテーマは、冒頭の「わたしをもう一度好きになりたい」なんだけど、毎回テーマを設け、セッションを重ねている。

直近のテーマが「アウトプット」だった。コーチングでは、目標を確実に実現するために、具体的な細かい行動計画を決めるのだけど、このアウトプット、私がずっと避けてきたこと。

その日のセッションでは、まず最初の一歩として「翌日、noteになにかしら書いて『公開』を押す」と決めたのに、もう4日もたってしまった…コーチは「投稿した?」なんてそんなことはもちろん聞いてこないけど、無言のプレッシャーに押しつぶされる(いや、だから誰もプレッシャーなんて与えてない。自分がそれを選択してるんだよ)。

何をそんなに恐れているのか。

結局、私はずっと自分の人生を生きてこなかったんだと思う。いい人に見られたくて、誰にも嫌われたくなくて、誰に対してもいい顔をしてきた。自分の本音を伝えたら、離れていってしまうんじゃないか、嫌われるんじゃないか。

私の言うことなんてたいしたことじゃない。まわりがどう思うか、他の人の気持ちや意見を気にしすぎて、そもそも考えることを放棄してきた。話すのが苦手、ってずっとコンプレックスだったけど、そもそも考えてないんだから話すことなんて無理だよね。話すネタがないんだから。

目の前にいる大切なひとに寄り添いたい、もちろんそう思っていたのは事実だけど、ちゃんと本音で対話してきただろうか。相手が求めているであろう答えを予想して優先して、自分の気持ちを封印してきたんじゃないだろうか。本当にそれを相手は望んでいたのだろうか。私が本音で話さないこと、きっと感じて寂しい思いをした人もいるんじゃないだろうか。

でもそう振り返ってみたときに、それってつまり、私は誰のことも信頼していない、ってことでしょ、と気付いて絶望。コーチングの途中で号泣してしまった。これまで私を支えてくれた友人たち、先輩、後輩、家族、大切な人たちを私は全然信頼していなかったってこと。

自意識過剰なんだよ。私がSNSで何か発信したとして誰が見る?誰も見てないよーーーーー!!!誰がなんと思おうと、もういいじゃないか!

夫の海外転勤に、配偶者というだけで帯同させてもらい、めちゃくちゃラッキー!私はほんとに運がいい。4年間最高に楽しかった。でも仕事を失って、専業主婦ママになって、何のために生きてるんだっけ?わたし、誰の役にも立ってない、ってふと我に返ったとき、自信喪失。自己肯定感爆下がりゼロどころかマイナス。仕事もない、収入もない、英語力も中途半端、何かを成し遂げたことも、人一倍努力したこともない。人生楽しいけれど、私死ぬとき後悔しない?

駐妻友たちと話しているときに、お互いのよいところを言おう、みたいな流れになって、私のことを「夫くん(私と真逆、自己肯定感しかない)と結婚しただけでもう最高の人生だよ」的なことを言われ、悲しいと通り越して、無になって、自己肯定感がさらに-300くらいにまで落ちた。

もちろんその友人に悪気はないし、私のことを見下げているとかそういうことは決してない。でもやっぱり他人から見ても私って夫の付属品(しかもめちゃくちゃ得してる)でしかないんだなと思ったら、いやいや私の人生、夫ありきでいいの?私は私の人生をもう一度生きる!と決めた。

わたしをもう一度好きになるために、やってきたこと、やってること、日々書き留めていこうとおもう。さて、どれくらい続くかな。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?