他人が褒めてくれたとき、それを受け入れないことで得られるメリット
自分には価値がない。人より劣っている。どんどん膨れ上がってしまって自分でも途方に暮れるほどの劣等感を抱えながらも、一方で自分が世界の中心だと思っている。私はそんな人間でした、、と過去形で言いたいけど、まだきっとそんな部分あると思う。
劣等感、つまり人と比べて自分は劣っている、という考えを持っている以上、私の理想とする「相手もOK、自分もOK」には到達できない。他人と自分を常に比較し、どちらが上とか下とか、人間関係をそういう基準でみているから。
劣等感を完全にゼロにすることはできないかもしれないけれど、そういう部分も含めて自分なんだと、良い意味で諦め、受け入れ、で、どうするの?どうしたいわけ?と自分に問い、納得することで、その境地へ行けるのではないだろうか。
そもそも他人はそんなに私のことなど見ていない…よね。
例えば、チームで何か活動しているときに、誰かが誰かをすごく褒めたとする。ほんとに素晴らしかった、私ももちろん同意!でも、一方で、他人が褒められると、自分がけなされているように感じることがある。
いやいやいや、誰もけなしてないよ。わかってる!わかってるんだけど、あの子のように活躍できない自分が恥ずかしい。私なんてこのチームで何の役にも立ってない。みんなもきっとそう思ってるはず。
…ほんと、改めて文字で見ると、だいぶ鬱陶しい存在だよね。
例えば、ZOOMでブレイクアウトに分かれるとき、私と同じグループになったひとは嫌じゃないかな、私と一緒だとおもしろくないと思われてるんじゃないかな、などと考えて不安になる。
こんな私でも褒めてもらえるときがある。普段、他人が褒められていることには嫉妬するくせに、いざ自分が褒められると、そんなことないんですよ、私なんて、ほら、こんな失敗もするんですから…なんて聞かれてもいない余計な情報までしゃべったりする。
私の愛聴Potcast番組『ジェーン・スーと堀井美香のOVER THE SUN」のEp.83で堀井美香さんがおっしゃってました。
(この番組、神回多すぎですが、このEp.83も個人的には神回だった。)
最近TBSを退社し、独立された堀井美香さんですが、あるドラマの実況をやってほしい、と頼まれた。その時、やってみたいにも関わらず、まず「えー実況って普通男性じゃないですか?私やったことないですけど…」などとごちゃごちゃ言う時間が5分ほどあったという。
「そのごちゃごちゃ要らないよね」
「そんなこと相手は考えた上でオファーしてきてくれている」
「潔く引き受けよう」
「結局、そのごちゃごちゃの心理としては、私やったことないよ、とハードルを下げているだけ。汚いやり方。」
もうめっちゃわかるなあ。心のうちをさらけ出してくれて本当に美香さん、スーさんいつもありがとう。
で、ここでタイトルに戻ってくるんだけど、他人が褒めてくれたときに、それを受け入れないことで得られるメリット。それは、傷つくことの回避。いざ本当に何かやらかしたときに、無能だと思われること、不要だと思われること、それが怖くて事前にまわりとの関わりから逃げてるだけ。
でもそれって「メリット」じゃないよね。
他者を信頼していない、それだけ。
素直にありがとう、でいいんじゃない?私にはできることがあるんだ。ひとに喜んでもらえることだってあるんだ。気付いて言葉にしてくれてありがとう。他人は自分が意識するほど自分のことなんて見ていない、そんな中で、わざわざ褒めてくれる、って相当ありがたいよね。
私には苦手なこともできないこともモリモリある。それを認めよう。目を背けずに、受け入れよう。
自分を受け入れることができたら、きっとまわりの他者を信頼し、褒め言葉も素直に受け入れることができるんじゃないかな?
つまり、他人が褒めてくれてるのに、それを受け入れないことで得られるメリットは、「ない」が答えでいいのかな。
うーーん、ちょっとまだモヤモヤしてるかも…引き続き、考えよー!
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