死にたい人の人生の歩き方
希死念慮とは「死にたいと願うこと」。自殺願望と同義ともされるが、病気や人間関係などを解決したい問題から逃れるために死を選択しようとする状態を「自殺願望」、具体的な理由はないが漠然と死を願う状態を「希死念慮」と使い分けることがある。(goo辞書より)
私は現在進行形で躁鬱病です。でも、前にここで語ったように幸せに生きていて、状態的にいうと「お薬を飲みながら回復に向かってる状態」です。
大変な時期も確かにあって、一度は閉鎖病棟にお世話になっていたぐらいです。でも人間回復するもんです。今は基本普通に過ごせるのだから。そんな幸せ躁鬱病な私が度々襲われて困ること、それが一番最初に定義を書かせてもらった希死念慮。ほんとに突然やってきます。そんな時の私の過ごし方を書かせてください。
1,薬を服用する。
大体の場合、睡眠から起きた瞬間に来てることを察します。まず、起きた瞬間に怖いからです。理由はないのにただただ怖く、ぶるぶると冷や汗かきながら目覚めます。そんな時、一番最初に朝のお薬を服用します。だけど、鬱状態の時などは起き上がるのすら大変なんです。だから、朝のお薬とお水は寝ている場所から起き上がればすぐ手に届くとこに置いておきます。この時、チョコレートなど、ポンと口に入れれるものも置いておくと胃にも安心です。
2,頓服をもらっておく。
希死念慮やパニックなどを起こしやすい人は、主治医に相談して頓服をもらっておくのも一つの手です。私は貰っていて、ダメな時はいつものお薬にたします。その時に声が出るくらいの余裕があるようでしたら「頓服飲んだからきくよ」と自分に語り掛けます。プラーシーボ効果なのか、少し落ち着く気がします。しっかりと主治医と話をしておきましょう。
3,死にたいと思ってないのに死にたいね。
自分の声に否定しないようにしながら、相反する声も認めます。なんでか、希死念慮は寄り添うのがお好きなようで、拒否すれば反発をするんです。パニックが過ぎ去った後は、なにかの音楽が脳内でリピートされるように「死にたいイメージ」が流れることを許してあげましょう。「死にたくないんだけどさ、、、死にたいね。」とそっと傍においてやりましょう。
4,できるなら誰かにsosを出しておく。
私の場合は近くにお母さんが住んでるので、一応連絡しておきます。一人でも過ぎ去るのを待つことはできますが、それでも死にたい気持ちには変わらないので、何かしでかしてしまうと大変です。旦那さんにも連絡します。次のクリニック受信の為に覚えてもらうようにです。
こんな感じで希死念慮と向き合っています。今でこそ向き合うと言えるけれど、ひどいときは高いビルを探しに行ったり、我慢できずに髪の毛を坊主になるまで切っていたこともありました。それくらい酷かった時は「病院で注射を打ちなさい」と主治医にいわれ、よくクリニックに通っていました。
私が言えることは、とにかく主治医をたよれ。です。家族間でどうにかしようとすると、家族が潰れるのが病気です。あくまで家族にはクリニックに行った方がいいかの判断をつけてもらうくらいにしましょう。そして、お薬を決められた分飲む。クリニックをさぼらない。希死念慮がきたら戦わない。まだこんな気持ちが、私の中に隠れてたんだな、、お薬のまなきゃ。先生に相談しなきゃな。くらいに思うのがいいと思います。この記事も私の場合ですので、気になる方は主治医にご相談くださいまし。
今日も読んでいただきありがとうございました。