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願望実現のタイムラグについて

宇宙へのオファーとその実現までのタイムラグがどのぐらいなのか、気になるところです。

引き寄せの法則などの本では、すぐに変わることができるといいつつも、現実には時間がかかると書いてあったりして、どっちなんだよ、って思います。

お金の引き寄せについても、願った後すぐに銀行口座の残高が増えるわけではない、と書いてあったり、必要な分だけやってくるとあったり。じゃあ、何億、何十億と稼いでいる人はそれが必要な分なのか?と疑いたくなったり。

けっきょく、人によって異なるし万人に共通の何日で叶うというような基準がないから、そう言わざるを得ないのでしょう。言ったとたんに叶う人がいれば、10年以上かかる人もいるように。

最近の体験から、願望実現について以下のことが分かってきました。

  • 実現までのタイムラグがなぜあるか

  • 最初はちょろちょろ

  • 不安を感じなくなると大きく叶い始める

これらについて書いていきます。

タイムラグがなぜあるのか。

願望実現、つまり宇宙へなげたオーダーがとおって現実が変わるには、オーダーの内容と自分の波動の周波数が一致していることが必要です。

一致していればいるほど、実現が早く正確になる。

でも
実現なんてほんとにするの?
自分なんかには起きないのではないか
といった疑いや

いますぐ叶えてほしいんだけど?!
どのステップをどう踏んだら確実に叶うのか
まだなの?いつ?
といった執着や焦り

あと自分で意識できていない、その願望が叶うことへの心のブロックなんかがあると、周波数の一致が妨害される。これがタイムラグを大きくさせる。

また、ああ、ブロックがあるから自分はダメなんだ、みたいな自分責めも同じ。宇宙へのへりくだりも実は妨害になる。

これらの状態は自我、思考に意識を支配されている状態。

なんで叶わない?
やっぱり叶わない
なにが間違ってる?

これらはすべて原因究明しコントロールしたい思考。そもそも、宇宙におこることも自分の心もコントロールはできないものなのです。それを受け入れることが、願望実現の第一歩。

願望実現は軽い波動のほうが叶えたい現実と一致するので、これらの重い思考がぶらさがると願っているのに叶わないという現実が生まれます。

ていうか、かなっちゃっている。

願望実現して嬉しい、幸せ、満足。欲しいのは実はこの心の状態なはず。だってなぜ願望を持つかというと、その気持ちを味わいたいから。(あるいはそれを感じられない現状への辛さから逃れたいから)

内面が現実として現れるのはその通りなので、重い波動を出す内面でいればそれを感じ続ける現実が創造されるのです。これがタイムラグの原因です。

実はタイムラグっていうか、叶っているけど叶ってない状態です。周波数が願望がかなったときの心の周波数と合いだすと現実もそれに同調して変わり始めるということです。

最初はちょろちょろ

周波数が合いだすと、頑丈だった岩壁に亀裂ができたかのように、望む未来の小型版みたいなことが起こります。

この期間がわたしは思いの他長かった。数年単位だったかも。

しかも最初の方のちょろちょろは、来ても続かない。ああ、これでやっと叶うのか、という期待を裏切り、来る前よりもっと砂漠になったり。

期待して裏切られ、が続くことでよけいに心が折れそうになったりします。

宇宙に嫌われているのでは?
いやむしろ、自分だけ計算に入っていないとか?
まだ何か学ばないこと、知らないといけないこと、整えないといけないことがあるのか?

そんな思考がムクムク大きくなって、しまいには宇宙への怒りにすらなり。

ちょろちょろが来た時には、ああ、やっぱり願望って叶うんだ、ありがとう宇宙!って思うのです。でも、
次はどうしてくれるの?
続くよね?
言った通りにしてくれるよね?

みたいな疑いとか不安が再び生まれると、ちょろちょろが途絶えてしまうを繰り返しました。

いまもまだちょろちょろの最中ですが、頻度と間隔が変わってきました。その変化は自分の内面の変化とリンクしていると確実にわかるようになったのが大きいです。

不安を感じなくなると大きく叶い始める

どう内面が変わったかというと不安にとらわれる時間と頻度が減りました。

その原因は、願望が叶うかどうかのチェックや、出来事への意味付けをやめたことがあると思います。

願ったからといって、それがかなったかどうか、いつ叶うのか確認をつねにすると叶っていない現実にがっかりして波動の周波数が重くなります。

どんなにチェックしても、結果に執着しても、宇宙はわたしにはコントロールできない。そう諦めたのです。左脳にかなり傾いた思考型人間なので、どうしても問題解決したくなるたちです。

この問題解決脳がたちあがると、現状チェック、分析、理解、解決策の考案、計画、実行、検証、みたいなサイクルが始まります。計画実行までいけちゃえばそれはそれでよいのでしょうが、そもそも対象が分析も理解もしようがないもの。やればやるほどドツボにはまる。もっと情報が必要だと思い、セミナー沼にはまって。

さんざんやりましたとも。引き寄せの法則的なアイデアを知ってから15年ぐらい。これを。

でもさんざんやったから、これが無意味だと腹から理解できた。降参できた。自分は無力で、無力でよいと思えた。

本来自分は何も持っていない存在だとわかり、それでも生かされて、赤ん坊や鳥や虫たちと同じなんだ、同じでよいのだと感じ、同じでしかいられないと、それは私のせいではなく、そう作った宇宙、神様のせいだと責任転嫁しました。

優れていることを証明しなくても、立ち向かえる力を示さなくてもいい。自分に起こる出来事はコントロールすべき障害ではない。力の証明に使うために起きているわけでもない。

ただ起きている。私を苦しめているわけでも、試練を与えているわけでもない。これは嫌なこと、苦しいことと私が決めるからそういうものという意味がその出来事につく。

誰かが嫌なことをいった。傷ついた。

そんなことも、ある人があることをいった。それは自分とは関係ないただの出来事。それはその人が自分自身に言った言葉でしかない。

期待を裏切られた。それはわたしが勝手に期待したこと。相手は裏切ろうと思ったわけではない。またわたしの期待に応える義務も必要も相手にはない。ひょっとすると、相手は相手で自分なりにわたしのことを思いやってくれたのかもしれない。自分が期待した形でなかったからといって、それは相手がわたしをないがしろにしたという証拠ではない。

起きることをすべて、そんな風に受け流す。自分の感情にリンクさせない。反応してしまうけれど、それに気づき、あ、また自分への個人攻撃だととらえちゃってたと思い、その出来事に「傷ついたこと」「うらぎられたこと」といった感情的なラベルを貼るのをやめる。

実際、意味付けにとらわれないようにするのはちょっとコツがいった。やめようって思うだけではまたぐるぐる思考にもどってしまいがちで、そこを助けてくれたのが斎藤一人さんの天国言葉と、ネドじゅんさんの呼吸のエレベーターだった。

斎藤一人さんやネドじゅんさんをとくに心酔しているわけではないけれど、私には使いやすい言葉やイメージなので、ありがたく使わせてもらってます。

不安が起きたら、目をそらしたり押し込めたりするのではなく、ただ天国言葉をたんたんと唱える。感情がこもってなくてよくって、呪文のようにただ唱える。すると不安がかってに消えていきます。

気分がいいとき、フラットなときに呼吸のエレベーターのイメージをし、イマココ感覚を味わいます。

この簡単な2つが波動をあげてくれたというよりは、ネガティブで重い思考にずっと巻き込まれることを防いでくれるようになりました。

この2つも降参したから私のところにやってきたのかなと思います。

降参する
できごとへの意味付けをやめる
人生へのコントロールを手放す

これが定着したことで、なんと願望がなくなってきました。どうしても叶ってほしいことがなくなった。なったらいいなあ、というものはあります。でもそれが叶わないから悲しいとか苦しいとかは思いません。なるようにしかならない。なにかが起きない、あるいは起きたから、自分が不幸だということはない。

そんな感覚です。

すると、以前は重要でなかったことに満たされたり、豊かさを感じて幸せな気持ちになり、感謝が自然とわくのです。

最近どうですか?

先日とある人に聞かれて、こう答えている自分にびっくりしました。「穏やかに日々すごせています」

それまで、あれをしたい、こうなりたい、そういう願いや目標をつねにもち、努力したり学んだり、打ち込んだり。いつも新しいものに目をむけて、深くものを考える人、そういう印象を他人に与えてきたようで、でもその一面があるからこそ、ふかーく落ち込んだり闇にとらわれたりで、上下の激しい内面だったので「穏やか」という言葉がでたことにびっくりしたのです。

大きなことを成し遂げようとしていない。今の自分以外の自分になろうとしていない。でもなんか気分がいい。楽。

そうしたら、数年前、1年前、半年前、数ヶ月前、に願ったことが起こり始めているのです。さらには、叶い方はこんな風なのかな、という想定をまったく超えた予想外のルートが開きはじめてもいます。

しかも、そのことに強い喜びが起きないのです。ああ、面白いなあ、嬉しいなあ、ついてるなあ、とは感じるけれど、高揚はしない。

それは、起きてほしいことと自分の周波数が一致してきたからなんだと思うのです。一致しているものは自分と同質なので、手に入ってもそんなにテンションがあがらない。特別感がないというか。

あんなに叶ってほしかったことが叶うようになるって、どっちでもよくなるってことなのか、っていうのが最近わかったこと。一喜一憂しなくなるってこういうことか。

以上、夜中に急に目が覚めて、ほぼ自動書記的に書かされました。なにかの参考になればうれしいです。眠くなってきた。。。




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