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真面目で左脳よりな人に響く、しし座新月の星読み

ひゃ~、めちゃくちゃ分かりやすい!
そらさんの星を読み解く深くと慈愛にみちた言葉が好き。

三蔵法師ではなく悟空みをもっと。

悟空から学ぶというのは、三蔵法師族にとってタブーを破ることであり、自分と真逆だからこそあこがれるシャドーに自分を明け渡すことであり、今の自分を縛る自我からの解放でもある。

ポジティブなメンタルのときは、悟空いいなあ、自分ももうそちらに行こうと素直に思えますが、落ちているときは、もっと三蔵をしなくてはとなる。もっと三蔵的にならなくてはというのは自我のコントロール。

三蔵族が悟空的になるということは、自我のコントロールをはずれるということとイコール。だから、自我としては三蔵でいてほしいわけで。上手くいかないことがあってメンタル弱ってるときにここぞとばかりに、言わんこっちゃない、もっと冷静に、もっと頭を働かせて、大人になって、思考でいけ!と迫ってきます。

でもたぶん、悟空だったらピンチのときほどもっと暴れるんだと思うのです。

もっと後先考えず、仙骨の反応するがままに飛び出していく。そしてその疾走感そのものを楽しんじゃっている。

これを書きながら思ったのは、悟空みが増して今までと違う選択をしまくる時期というのが来るのですが、そのあと、その後始末、悟空の尻ぬぐいをする三蔵モードがあります。

その三蔵モードもやめる。後始末なんかしない。悟空が起こした嵐のあとに生まれるものを楽しむ。というか、後なんかふり返らないのかもしれません。そんな無責任な!と三蔵は言うかもですが。無責任ヒーローで行くのです。

明日から金星がおとめ座に入り、水星も逆行。はじけたい人がしーんとしたお茶室に放り込まれ、うぎゃーと暴れたくなる。そんなイメージがあります。そして水星も逆行ときたら、常識、大人の事情、ルール、思考、理性、知性そういったものに比重が多い場合、それをひっくり返して遊んじゃおうという方向への爆発への引力をめちゃくちゃ感じます。星読みの専門家ではないので、あくまで個人的な感覚ですが。

三蔵組はいくら悟空的にやっちゃっても、頭にはめられた緊箍児がしまるほどには至らない。いや、緊箍児も三蔵法師の価値観なわけで、自我のコントロールのツールだろうから、それをも飛び越える。

しし座新月。三蔵法師組の仲間のみなさん、殻から脱却する夏の到来です。


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