なぜ求めるのか、欲求の先にある自分の本質
人が行動する理由は欲。
欲しいという欲と避けたいという欲のどちらか。
欲がなければ人は行動しない。
食べたい、眠りたい、まばたきしたい。こういうものだって生理的欲求があるからする。
命を維持するための欲求がある程度満たされると、人間はさらに高度な欲求を満たそうとする。それがマズローの5段階欲求。
心のことを学んだ人はまず知らない人はいない。
これを今さら解説しようとしているのではないので安心してください。
今日話したいのは、自分の自己実現欲求が満たしたいと思っているものがわからないと、その手前までの4段階が満たされたとき、足が止まるということです。
これから起業する人、したばかりの人から、やるべきことがあるのに動けない、というテーマでコーチングを頼まれることがよくあります。
そういう方に、そのビジネスをすることであなた自身はどんな幸せを得ているのか、ということを尋ねます。
答えはたとえば、お客さんが笑顔になる、困っている人がいなくなる、というものが返ってきます。
お客さんが笑顔になること、という状態は、あなたの幸せはどんなものか、というのは、まるでイコールのように思う方が多いのですが、別物です。
だって、他人が笑顔になった。それは他人に起こること。自分に起こることではありません。
なぜ他人が笑顔になって嬉しいのですか?と尋ねると、役に立ったと思えるから、認めてもらえたと思えるからと答えます。
つまりそれは、今の自分は役に立たない、認めてもらえてない、ということを現実としてとらえていることになります。
また困っている人がいなくなる。それも自分が困っているわけではないので、自分事ではありません。もっというと、困っている人がいなくなると商売あがったりになってしまいます。
困っている人がいなくなって嬉しいと思うのなら、それはなぜか。困っている人がなくなった世界は自分にとってなにを象徴するのか、そして、これが一番大事なのですが、その世界がかなったときあなたはそこで何をしたいのか。
その困っている人がいなくなった世界でなにもしたいことがない人は、のんびりします、なんて答えたりします。
のんびりしたいなら、その世界が実現しなくても今すぐのんびりしたらいいのです。のんびりしたい、が欲しい状況なのであれば、世界を救わなくてものんびりできるから。
そのビジネスをやって成功するということが、自分の収入になるからとか、人に認められるからとか、役に立ったなあと思えるからだと、それはそのビジネスがなくなったらそれらを失うということ。
だからそれらを感じるためにやっているなら、そのビジネスをやり続けなければならない。そしてそれにはなんと。
困っている人が永遠に現れ続けないといけないのです。
つまり心底望んでいるのは、困っている人がい続ける状況です。
この人たちが満たしたいのは、自己実現欲求のような言葉を使いながら実は社会的欲求であったり承認欲求だったりするのです。
それが悪いということではありません。
これらの欲求が原動力となって行動をおこさせ、その人が道を進む背中を押していくからです。最初はこの欲求がパワフルで助けにすらなります。
それらの欲求も外から満たされる必要がなくなったとき、つまり他人の承認が必要なくなった自分で自分を承認できている人になったとき、そこでなにをしたいのか、が自己実現欲求です。
それが「困った人がいなくなった世界でなにをしたいのか」です。そしてそれがその人の本質です。
不足がなくなったとき、はじめて本質を生きることが始まります。でも、不足を埋めることでのみ走ってきた人は、不足が埋まったときにはたと足が止まります。
埋めるべき不足がなくなってしまったのです。やることがなくなってしまった。
不足が埋まったらどんなに幸せだろうと思っていたのに、いざ埋まったらそこでなにをしたいのかがない。
先日、NHKで早期リタイア(FIRE)について特集している番組を見ました。見事FIREを実現した人がインタビューで、やることがなくなって一日テレビを見ている。社会との関係が切れた感じがする。と話していました。
これもお金への不足感が消えたときに、本質で生きることがどういう生き方なのかに向き合っていなかった例だと思います。
なのでFIREを果たしたのち、再び就職する方もいると報道されていました。
今自分を突き動かしているものが不足なのかどうか。それは案外自分では気づきにくいものです。
なぜそれをやりたいのか、を自分で問うてみてください。
その結果、お金のためとか、地位のためとか、安心するためとか、人とつながるためとか、そういう今ないものを手に入れるためであるなら、それは不足から来ています。
お金がない、地位がない、安心していない、人とつながっていない。
そう考えているという現れだから。
それが悪いわけではありません。今はそれを原動力にして走っているんだな、と認識すればいい。そしてそれらが叶ったら、叶った自分はなにをしたいのか、それを同時並行で意識しておく。
すると、本質の自分として不足感があってもなくても、今のままの自分で生き始めることができます。
もうそうなったら、なにかが叶ったらを待つ必要はないのです。一番なりたかった本質の自分としてただ望むことをすればいいだけ。自己実現が始まるのです。